氷上姉子神社へ行った

 忙しくてブログもなかなか更新できないが、先日氷上姉子神社に行った。昔はもっと散歩している人がいた記憶があるが、その日は人出はあまりなかった。
 碑文によると、その昔、草薙の剣が安置されていたから元熱田というようだ。スサノオ・テレビのテーマとはあまり関連性がないかなと思う。この神社は、ビデオ・プログラムから外そうと思う。
 ついでながら、「信長攻路」のようで、モニュメントがあった。


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西部邁の訃報に思う

 思想家の西部邁が亡くなった。入水自殺という。通報者である息子の世話になるつもりはなかったものらしい。死ぬ間際まで雑誌の取材に応じたが、神経痛でウィスキーのグラスさえ片手では持てなかったという。当然、痛みもあっただろう。私も疼痛持ちであり、若かったころにはなかった痛みの問題を考えるこの頃だ。
 充分考えた末のことのようであり、それなら思想家としての社会的影響も計算に入っていたはずだ。江藤淳の時には違和感もあったが、自殺が罪悪感と切り離され、死の選択肢として有り得るものになった感がある。こんな時代だ。そのことには有難い感じすらある。

 今朝方、水難事故の夢をいくつも見た。最後のものは、水面から手が伸びていたが、こちらが手を差し伸べても救うことはできなかった。訃報が胸に応えたのだろうか。
 本日、大雪の日本である。夢は個人的であると同時に、社会への窓でもある。己の凶兆と社会的な予兆の両面で考えた。結果的には個人的な災厄はなかった。
 日本列島で考えると、おかしな噴火や地震など関連性のある予兆にも感じられる。すこしく視野を拡げると、フィリピンの噴火が気にかかる。地域的にその辺りまでは、つながっているのではないか。
 米国の戦争も気がかりだ。凶事(まがごと)の時代に突入していくのだろうか、今年。

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幸せと生きがいは違う?

 TEDで、幸せと生きがいは違うという講義がありました。それで、生きていく上で必要なのは、生きがいの方なんだそうで。
 幸せといってわかりやすいのは、至極うまいものを飲食した時に感じる無条件幸福のような、思わず笑みがこぼれる状態でしょう。しかしそれは幸せの上澄みのようなもので、本質的には「この生が続くという感覚」のことではないでしょうかね。別に何もいいことはなくたって、それがあれば人生不幸とはいえないでしょう。

 今は、不幸な人が多い気がします。私もそうですが、この生が続くという感覚が持てない。それどころか、いつ終わるのだろうという方に興味がいく。いい加減なところでいなくならないと困るわけです。
 近所のおばさんで、一人暮らしだったのですが、年をとって病気になり、葬式代を残して首をくくった人がいました。身につまされる話しです。誰しも血の薄い親戚の世話にはなりたくないでしょう。
 私にしろ老齢でのパートナー探しを考えないではありませんが、結局どちらかが残るので、問題が解決するわけでもない気がします。

 まあ、いよいよという時になったら、行者装束で菅笠でもかぶって出発することにします。アパートで孤独死なんて嫌だから、行き倒れが一番面白そうです。
 それまでは、生きがいの方を毎年粛々と行います。今年のテーマであるスサノオ・テレビは、8月か9月までに作りたい。案外と、私は幸せなのかもしれません。
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縄文海進について、人はあまり知らない

 日本列島の地図を見慣れているせいで、太古からこの敷島は今の形だったと思いがちですかね。かまやしません、私だって、十年前に津島神社に行って、付近に堤防の遺跡があるのに驚いたくらいですから。
 (こんな内陸部に堤防が?)
 縄文海進は知っていたにせよ、それは驚きでした。
 縄文海進とは、およそ6000年前に、氷河期の影響で海抜が上がっていた時期のことをいいます。大昔のことじゃねえか、とは思わないでください。江戸の都だって、三河武士が鋤鍬を振るって開拓した土地が少なくありません。尾張などは、信長様の時代から開拓されており、津島神社付近は海岸だったのであり、物流の要衝だったわけですヨ。



 上の画像は、「しま爺」さんのところから拝借したものです。
 ウェブはこちら→ https://ameblo.jp/blob-shima-jiiya/entry-11996409533.html
 これは古すぎる絵かと思います。津島さえ陸になっていない。私にとって問題なのは、スサノオがやって来たとされる3500年前はどうだったのかということです。もう少し海が引いて、陸が現れていたとは思います。とはいえ、信長時代でも津島が海岸線があったとは推測されます。

 今日、氷上姉子神社に行ってきました。昔、行った時のように、斎の宮にはたどり着けませんでしたが、ここは高台です。これに反して、現在の熱田神宮付近が太古に陸地だったとは、私には考えにくい。元熱田という呼称が示すように、氷上姉子がヤマトタケルが絶望した地ではないかと考えます。思い入れでこしらえた津島と氷上のカップリング説もあきらめてはいません。
 ところで実は、氷上姉子神社が以前より衰退しており、「あれっ?」と思ったのではありました。お守りを買い求めようとしたところ、
 「あれっ? これは熱田神宮のものですか?」
 「そうなんですよ。少し前まではここのがあったのにねえ。全部熱田神宮のものになってしまいました」
 などというご返答。買うつもりで行ったのに、買えませんでした。熱田さんなど信じていないもの。(因みに、私の地元で信じられているのは秋葉さんです。よって、熱田神宮より南に少し下った円通寺が馴染みだったりしますヨ。秋葉山本宮は、昨年初詣しました)
 前は、テレビ番組で元熱田(無論、元伊勢と同様に、元々の熱田の地というニュアンス)であったと紹介され、結構な賑わいがあったのです。残念です。

 今日は、氷上姉子界隈をビデオ撮影しました。テストでもあり、面倒なので、画像はアップしません。ごめん。
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シングル・ライフで 冷蔵庫なしは可能か?

 シングル・ライフというと何かコジャレタ感じがあるけれども、私の場合はボロ長屋すまいなんだけれども、一応単身なんだな。今は徐々に生活を整えているところさ。
 冷蔵庫は当然買うべきものと思っていた。文明の利器であって、昭和の人生と共にあった。独り身用の小さいやつを買うつもりでいた。むしろ、一人暮らしの持ち物査定で、これは要らないんじゃないのかという候補になったことが意外だった。
 今は実家に帰っていて、母に天然ブリのカマ塩焼きを作ってやったほど、料理に関してなら人並み以上と自負している。オレ、コンビニ生活だから冷蔵庫いらないよ、という者ではない。

 色々考えて、冷蔵庫は生活必需品ではないのではないかと思うに至った。勿論、貧乏乾いていなければ、小さな冷蔵庫くらい持てばいいのだが、そこは切り詰めた貧乏人の考えることである。どうしても必要であれば買うが、今はまだ我慢できる。
 もし、贅沢したくて色々な料理が作りたいというなら話は別だが、貧困生活ともなれば、削れるものは多い。肉は、干し肉に加工すれば冷蔵はいらない。10個も入っている卵パックなどいらない。バターも料理必需というわけではなく、オリーブ・オイルなどいくらでも代用可能だ。冷えたビールなど、コンビニで買ってすむものなら、コンビニが冷蔵庫だ。と、色々考えると、冷蔵庫を買うに躊躇する。しかるに、冷蔵庫とは昭和の贅沢品だったのだろうか?


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新生活・近況

 愛知県西部に引っ越して、一月も経たない。段々に、生活品を整えている。今日はイグサ・マットを敷いた。ボロ屋で、水道の蛇口は全滅の水漏れ。照明器具がなかったので、自分でシーリング・ライトを取り付けた。畳表は磨り減って靴下にイグサが着くという有様だ。涙目になるのをとめられないが、そんな安かろう悪かろうが気に入ってもいる。



 イグサ・マットを敷いて、一段落ついたような気分になって、ビール。銀座ライオンはうまかった。サッポロは、なんやかやでダメになったけれど、かつては外人人気ナンバーワンだった。銀座ライオンも思い出深い。
 コンビニで、ビールとカラムーチョにタバコと週刊誌を買ってきた。メシは自炊できるくらいに体勢を整えたので、買わずに済むようになった。週刊誌は、どれも軒並み400円代で勝負しているのだが、それをむしり取るのも大変なんだろうなと思う。これまでは職場の食堂にあったので買いはしなかった。

 ノート・パソコンも買って、ネット環境も整った。ノートはi7、16Gメモリ、グラボ付きで3万4千円の品だったので、セット・アップには手間取った。
 ワイファイを導入しなければならないと思っていたのだが、スマホのテザリングでなんとかなってしまうことに気づいた。ウェブ閲覧とブログがやれればいいと思っていたのだが、このノートなら、ムービーの編集もやれそうだ。
 音楽は、ユーチューブで聴く。


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スサノオ考1

 スサノオについて考えてみたい。
 さすがに私も、スサノオの発祥がメソポタミアのスサであると初めて聞いた時には、
 (はい、はい)
 と眉に唾したものだった。読んだのは、八切止夫だったろうか。確か八切は、正倉院所蔵のアラビアのカットグラスを例に持ち出し、海のシルクロードという概念をぶち上げていた。陸伝いにガラス器を運搬するのは至難だが、海路なら可能という説だった。一定の説得力がないでもない。産鉄民が海伝いに移動した可能性は十分あると思う。褐鉄鉱は、湿地の植物の根から取れる。
 それはそれとして、天皇家とユダヤの関係は巷間噂されるところだが、シュメールとスメラミコトの音韻が似ているにせよ、そういうことだけでは歴史ロマンにはなりゃしない。根拠が希薄という感想しか私は持っていなかった。
 けれども、津島神社は好きでよく行っていたし、地元の英雄織田信長は元々福井県からの流れ者だったことなどを折に触れ考えると、歴史の重層性を思わずにはいられないのだった。興味が尽きなかったのである。

 日本史は、歴史がスパイラルに幾重にも繰り返すことがよくある。例えば産鉄民のスサノオの渡来の後に、同様産鉄民であったヒボコが、これも福井県の敦賀に漂着している。ヒボコは西へ、スサノオは東へ移動したものらしいが、両者とも一旦は畿内に入っていることから、文化の混合あるいは混同があったのではないかと考えている。今では民俗的にスサノオと蘇民将来信仰が結びついているのだが、これは実はヒボコの文化ではないだろうか。蘇民とか古丹とか、朝鮮語くさい名がそのまま残ることは、より後代の流入を考えさせるからだ。さらに、スサノオには牛頭天王の異名があるが、これもツヌガアラシトとの混同ではないのかと私は考えている。

 問題はモチベーションである。発端は王都スサからの都落ちとしても、またユダヤの失われた支族と考えてもいいが、何が悲しくて大陸の東の果てさえ越えたのか。これが長い間の疑問だった。今は、産鉄民だったからだという解答を持っている。彼らは、サーカスのテントが観客を求めるように、鉄資源を求めて移動する宿命にあったのだ。
 まず、製鉄は当時の最新テクノロジーだった。金よりも鉄のほうが5倍も高価だったのである。そのことがもたらす富の集積は、いかようにしたのだろうか。領土欲はなく、移動が民族的習性なら貨幣もあまり意味のないものだろう。人が富だったかもしれないと思う。征服民のように現地人を強姦し奴隷化するのではなく、婚姻によって習合する習性を持っていたことから、現地の優れた人の血を入れることが富そのものだったのかもしれない。子孫繁栄が人類の目的ならば、理に適っている。人の歴史は戦争の歴史とされるが、そうではない民族の形を浮かび上がらせることは、楽しく面白い。戦争が描く悲惨ではなく、冒険と楽園が足下にあるよね。




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旅をする者

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 比喩的になら、ひとつところに一生住まおうと人生は旅であると言いうるが、私は50過ぎて生家を出、旅をすることになった。家には認知症の母をひとり残している。
 家族愛というものを、不遇な他人を詰れるほど疑いなく信じられるのは、クリスマスの靴下が子供時代のいつ頃までツリーの枝にぶら下がっているかに似ていると思う。私は人生の中で、普通よりは早めに、サンタクロースなどいなかったことを知った。それでも、ギフトは確かにあったのだけれどもまた、愛憎は半ばでせめぎ合い、喪失の側を受け入れるには時間がかかった。
 出奔する際、「なんでこんなことになったのか」と母は独りごちたが、それは笑ってしまうほど私も同じ想いだった。ただ、私たち親子にとってこの展開は必要なのだと思うしかなかった。錆びた包丁ほどにも切れ味の悪いジョークに聞こえたが、もうその時には茶色くサビた味わいを漂わせてもいた。争いは乗り越えた後だった。
 これ以上抽象的なことを書くのはやめよう。「ああ、そんなこともあるよね」とわかってくれるのは、同じようなことを経験した人のみ。くだらないゴタゴタなど知らずに甍に入っていく人もまた少なくないことだろう。
 今はアパートで一人暮らしだが、ここにもいつまでいるのかわからない。仕事の都合でどこへでも行く。

 蘇民将来伝説に出てくる神様はスサノオとされる。それは地元津島市の津島神社が総本山とされるのだが、スサノオまたは蘇民将来信仰は全国に散在している。スサノオは産鉄民だったから、それこそ仕事の都合で全国を渡り歩いたのだろう。旅をする神の由縁だ。
 最初、鉄を求めて朝鮮半島から福井県あたりに漂着したものらしい。一説には、古志人と争いになったとされる。ヒイ川(日野川?)のテナヅチ、アシナヅチだ。名前からツチグモが連想される。日本の裏面史として、まつろわぬものはサンカと総称されるが、実際にはいくつもの部族にわかれるだろう。因みにサンカはスサノオを穴居抜けの神として信仰したという。さらに隠避せずに書けば、蜘蛛とは八つのことであろうと私は推測している。ツチは穴居生活を示すだろうか。この部族がどういった範囲で分布していたのかは私にはわからないが、名古屋市の市章は八であり、濃尾地方に関連性があると考えている。
 この地方でもうひとつ気にかかる神社は、氷上姉子神社である。これは津島の南東に位置し、草薙の剣に縁のある元熱田として知られる。埼玉の氷川神社も祭神はスサノオだが、「ヒ」という名が入っており、関連が注目される。つまり、津島(スサノオ)に対して「ヒ」の神のクシナダヒメを祭ったのではないかという推測である。クシナダヒメとは、スサノオがテナヅチ、アシナヅチと争い後に習合したことを示す婚姻の姫である。アネゴというくだけた名が示すように、姐御肌のやり手だったのかもしれない。そうでなくても、渡りの民と地元を結ぶ象徴の装置として機能したことは十分考えられる。
 北陸から濃尾地方に移動したのではなかったろうか。ところが、愛知県にはあまり産鉄地がないという。この点で、なぜ津島なのか疑問が残るが、湿地であり褐鉄鉱法には適していたかもしれない。
 そもそも産鉄民には領土欲というものはなかったが、経済活動をするためのネットワークは必要だったと考えられ、当時は海岸だった津島や元熱田はその拠点だった可能性がある。北陸から尾張へ。そして東北にもスサノオ信仰が多いことから、東に移動したことが伺えよう。

 ついでながら、私の先祖は代々鍛冶屋だったと聞く。こんなことに興味を持つのも、なにかの奇縁であるのかもしれない。
 ところで、こんなことをいくら書き連ねてみても、スサノオに詳しい方になら興味を持って読んでいただけるかもしれないが、大方、ネットにごろごろ転がる歴史ロマンとして受け止められることだろう。我慢して読んでさえもらえないかもしれない。しかしね、今はそんなことが必要な時代であるとも思うのだ。これを神社の映像でやれたら、面白いかなと思う。

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笑う蘇民将来

2018年、どんな1年にしたい?

私が年替わりの日と目する冬至は昨年の12月22日だった。明けて23日は、津島市の温泉「湯楽」に行った。「湯楽」は温泉だが、ジャンボ銭湯をイメージしてもらえばよいだろう。私は夜勤である都合上、昼間、宿代わりにそこで睡眠する必要があった。
そこで、60席ある安眠室なのに、わざわざ私の隣にまかり来て笑うジジイがいた。
2、3回までは「はて?」と思った程度だった。かなりの間を置いて発作のように笑うのである。5、6回になってくると流石に気に障った。笑いが起こると同時に、「ゴーゴー」という気色の悪い気管を震わせる息がした。それと共に子供の笑い声も聴こえる。
「お爺ちゃん、迷惑ですから、やめてください。○○ちゃんもね」
という婦人の声が向こうから聞こえた。その注意は二度ほど聴こえた。それで、認知症の爺さんと、孫で知恵遅れの子供の所業だろうと推測した。
(あのご婦人も、色々と大変だな)
認知症なら仕方ないとか、知恵遅れの子供なら仕方ないとか、私は色々に思った。
私の母は認知症だし、甥には知恵遅れが二人いる。余人より理解はあるつもりだ。

それに、ここは津島であり、スサノオの総本山なのだった。私は蘇民将来の説話を思い出していた。
人も知るように(知らないかもしれないが)、その説話は神様が旅をしている最中に、貧しい蘇民将来と富める巨旦将来の兄弟に宿を所望したところ、蘇民将来はそれなりに手厚くもてなしたが、巨旦将来は断った。その後、神さんが帰って来て、蘇民将来だけ疫病から免れたというものである。中東にも同じような説話があって、私はその類似性に注目している。それはゆくゆくこのブログでもキーポイントになるのだが、今は置こう。

旅をしているのはどちらかといえば私だったが、困った人なら大事にしようという眼目は同じだ。神の使いかもしれないし・・・。そうでなくても、こうしたハンディキャッパーは、有難く異能(メッセンジャー機能)を持っていることが多い。

さいが、我慢しきれなくなった。これでは寝られない。
どうやら、老人はくちゃくちゃとなにか食べているようだった。安眠室は飲食もケータイも禁止の空間なのだった。年寄りが入れ歯をくちゃくちゃさせる現象は知っていたが、それとは違った。都コンブでも食っていやがるのか。
(オノレ・・・)
怒鳴り散らしてもいい場面だった。
私は、フッと気を抜いて、その場から去った。私が去ればいいのだ。安眠できない生活など慣れている。

まあ、こんな具合で本年もよろしくお願いします。ひょんなことですが、これが今年のテーマです。
昨年中の「柚子にお願い」も冬至の出来事でしたが、本年もそうなります。
今年はスサノオの謎に迫り、ユーチューブで番組発表することがテーマになります。
よからあずがや。

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謹賀新年☆

GMOがやっているロリポップを利用しているのだが、これまでは5つまでブログが立てられたからそのつもりでいたら、ひとつになっていた。
2017年中のタイトル「柚子にお願い」は一旦区切って、2018年は「笑う蘇民将来」というテーマに移行しようと考えていたのだが、当てが外れた。例えばblog2といったアドレスには替えられない。
仕方がない。アドレスを継続して、ブログ・タイトルを変える。

職場近くの新宅と旧宅との二重生活になっている。
ノートパソコンを買った。それでモバイルする。なかなかに忙しい。
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