笑う蘇民将来

世の中の不思議
キリーロフ
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    朗読しています

    今日は予知夢がありました。その内容については、プライベートな事なので書きません。

    ところで、近頃気になっているのが、ドストエフスキーのキリーロフです。小説「悪霊」ですね。
    40過ぎると、身近な人がポツリと亡くなります。50を過ぎればポツリポツリ。
    年の近い従弟が亡くなったり。今日も近所の同年輩の方が亡くなったと案内看板が立っている。
    それで、自分の寿命は一体いつまでなんだろうと考えたりします。
    いや、違う。そんなに長くは生きられないかもしれない人生の仕舞い方を考えます。
    そんな長く生きられる保証などないし、そう思うのであれば、エロDVDなど始末しておく必要がある。

    自殺について考えるのは、生の価値の問い直しでしょう。
    カミュだって、執拗に論考しています。カミュの場合はそこから立ち上がってくるのですが、ドストエフスキーのキリーロフにおいては、自殺してしまいます。
    ドストエフスキーの自殺に関する考察は、ふたつの問題をとりあげます。痛みと来世です。
    ですが、キリーロフはこの問答のなかで、面白いことを言うのです。
    「生きていても死んでいても同じになった時、初めて完全な自由が与えられる」
    これは、仏教でいう無の境地に近いでしょう。

    けれども、仏教で無と言ったって、現代人には全然入ってこない。
    むしろ、ドストエフスキーなんですね。

    | 朗読 | 17:44 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    古史古伝
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      朗読バージョン

      時代性とでもいいますかね。1980年代には古史古伝ブームがあって、本屋には「謎の〜ナントカ史」といった本が結構並んでいました。
      私、結構買って読みました。世界には、まだ少しの人しか知らない秘密があるんだということが、アイデンティティになっていたように思います。帰属意識というよりは、固有性の確保でしょうね。アメリカから、カウンター・カルチャーが入ってきていた。お仕着せではない文化が、そこにあった。
      トンデモという言い方が出てくるのは、オウム事件の後だったんじゃないのかな。その意味で、時代性として通底するものがあったと思います。それとは逆方向に走ったのがサカキバラ事件でしょう。外の世界には、何も根を持つことができなかった。コインの裏表のようなものだと思います。

      時はながれて、津軽外三郡史は、すっかり偽書として片が付いたと思っていました。ところが、2008年、古田武彦が新しく原本が発見されたとして再出版しています。



      まじすか楽園みたいな感じですね。これを要するに、もう元々の偽書なんかどうでもいいので、私が本当のつがる三郡史を出しますということでしょう。あの偽書には、私のアイデンティティーを激しく震わせるものがあったのですってわけでしょう。

      あの頃読んだ本の中に、「謎の出雲神族」ってのがありました。これは吉田大洋という人の著作ですが、出雲族の伝承者である富まさおさんという語り部が登場するところがミソでした。途方もない内容なのですが、なぜか司馬遼太郎が産経新聞勤務時代に関りがあったようで、言及する稿を書いています。ということは、司馬もある程度近しく、富氏に根拠を示されたことがあったのではないかと想像します。でなきゃ到底信じられないような話です。
      私がなぜ信じたかというと、日本各地に富神社というものが存在しているからです。傍証があるよということです。だからって、富まさおさんの言をすべて鵜呑みにする気もないのです。つぶさに読むとおかしなところもある言説です。

      では、なにが面白いのか。オオクニヌシなんて重要な存在じゃなかったと言い放つところ。誰でもそんなことはチラッと考えたことはあるでしょうが、これは固有名詞じゃなくて、職掌名ではないのか。そういう地方長官が何人もいたから、神無月の寄り合いの頃には地方からカミがいなくなったのではないか。もしそうなら、十月のその寄り合いでは、収穫物の均等化が合議されたでしょう。

      そうだとすると、よくわからないのが国譲り神話です。単なる地方長官に過ぎないオオクニヌシが、降伏するか否かについて、息子のコトシロヌシにお伺いを立てている。私じゃ返答できないというわけです。
      これはある種の政治状況において、コトシロヌシとタテミナカタを矮小化したのだと、富氏の発言からは読み取れます。そのストーリーを補強するために、オオクニヌシの冒険譚を挿入しますが、これは何かの仮託としてあるのでしょう。
      古事記や日本書紀の成立情況、またその後の藤原不比等の改編など、それらは歴史書として読むには覚束ない、それこそ偽書といっていものかもしれません。

      それと較べれば、まだしも富氏の伝承は、歴史を語っています。大雑把に、出雲の版図は、山陰から近畿にかけてです。
      まずスサノオが、砂鉄を奪うために朝鮮から馬を連れてやってきた。上陸地は若狭です。ヒボコもそうですが、若狭から上陸するんですよね。朝鮮半島から、えいやと船を出すと、その辺りに着くのかもしれません。
      次に九州からアメノホヒら天孫族が来て、滅ぼされています。この時の王がコトシロヌシです。裏切りでもあったんでしょうか。コトシロヌシは自殺してしまいます。タテミナカタは諏訪に落ち延びます。
      次に、やっと神武が来ます。この時の王はナガスネヒコ。神武は海路、難波に攻め入ったのですが、苦戦して熊野に迂回し奈良に進攻します。

      まあ、そんなことも、面白いのではありますが、所詮一地方の出来事で、同じ時間軸で並立して関東や東北の歴史も進行していたわけです。むしろ縄文以前は、そちらの方が余程文化程度が高かったでしょう。
      群馬の縄文遺跡から、大量の耳飾りが出土しています。数にして千以上。しかも、精巧です。これは商業流通していたと考えねばならず、そのベースとなる社会システムも存在していなければならなかったでしょう。クニがあったということです。文献的には、残っていないというだけであってね。

      そうした意味で、鍵になるのはスサノオ以降になると思います。
      浦島伝説にも名残りがありますが、スサノオは一旦朝鮮半島に帰ったといいます。
      まあ、その以降は、東にちょっといい島国があるらしいぜってことで、中国からどんどん渡来人が渡ってくることになり、畿内に力が貯まっていくわけです。それがこぼれて、東日本の制圧、すなわち日ノ本の創生につながっていくわけです。その段階で消された歴史もあったのかもしれません。古田氏が魂を賭けたのは、その部分だったように私は思います。

      そういえば、富まさお氏の息子と名乗る方が、その口承を元に新しく考察を書いたようです。
      その後、吉田大洋は、富まさお氏の病床で「実は出雲族は女神としてアラハバキを祭祀していた」と聞かされ、また一冊本を書いちゃっています。
      歴史ロマンですね。オレだけが知っていることがあるという。いいんじゃないかな。私は古田武彦をバカにする言説のほうが貧しく見えます。
      そういえば、今年、ある神社に参拝して摂社にアラハバキと書いてあるのを見て、胸に懐かしい思い出が広がりました。
      あれ、この神さん、本当におらっしゃったの?
      | 朗読 | 19:42 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      時の轟音
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        クリック→このテキストは朗読しています

        坂本龍一のレインという曲が凄く好きなんです。ベルトリッチの映画「ラスト・エンペラー」の挿入曲です。曲とも言えない程のハシ曲なんで、当時はビデオ・テープから音楽テープにオーバー・ダビングして聴いていました。
        「ラスト・エンペラー」はいい映画ですが、指三本折ってそこへ入れられるかといえば、そういうわけにもいかない。けれども、レインのシーンだけは忘れられない程印象に残っています。清朝最後の皇帝溥儀夫妻が、政治的にまずいことになって飛行機で逃げようとする。エンジンがなかなかかからない。その緊迫したシーンのバックににレインが流れる。観客は「アーッ」て感じで観るでしょう。
        坂本自身はちゃんとした音楽家ですから、曲はちゃんと作るんですけど、この曲は断片なんですね。曲とも言えないただのバックミュージック。効果音に近いといってもいいのかもしれない。映画ですから。
        ところが、坂本さん、後になって何度もこのレインを自分のCDに再収録するわけなんです。ああ、この人もレインが好きだったんだなと思って、嬉しくなりましたよ。ちゃんとした曲になってないから始末に困っている風も可愛くて。

        中澤系の短歌に「三番線、快速列車が通過します。理解できない人は下がって」というのがあります。これは、いい短詩です。フラグメント。断章に近いでしょう。カフカとか、ヴィトゲンシュタインの断章はよく引用されますが、もっとわかりやすい形で人生の哀切を歌い切っている。
        駅で電車待ちをしていて、快速列車が轟音を立てて通過する。自分が立っている、各駅停車の鈍行列車しか止まらないブラット・ホームには、その快速の走行物は用がないんです。
        今は然程そうでもないんでしょうが、一昔か二昔前までは、新卒で入ったカイシャを辞めるってことは、人生を半ば降りるに近い感じがありました。だからって、人間ですから、イヤだったら辞めてしまうわけです。それで、同じ仕事をしているのに身分制みたいに給料が違うとか、マルクス連れて来いよみたいなね。理解できないけど下がるしかないハメを経験するわけです。
        頭が良くてファスト・レーンに乗ってきた人だって、大体50過ぎて哀れな事になります。快速列車に乗り続けられる人は、そんなに多くない、そして、そういう切符がカバンのどこを探してもなかった人たちは、おまえみたいな無駄な高給取り要らねえからって、子会社に飛ばされる。「俺だって会社のために頑張ってきたはずだ」と心の中で言うにしても、理解はしたくないでしょう。

        いつだったかなあ、テレビで「笑っていいとも」を見ていたら、岡林信康が出てきて「坂本龍一はけしからん」と怒り始めたことがありました。「アイツはアルバム・コンセプトを他から盗んでいる」とね。
        私は坂本ファンだったものですから、じゃあ具体的にどのアルバムなのよ?と当然思いましたし、司会のタモリもそれを訊いたと記憶します。それに対して岡林は、言を左右にして、「音楽家たるもの、アルバム・コンセプトを盗んじゃいけない」と、具体的には答えなかった気がします。
        今から思えば、「未来派野郎」だったでしょうね。
        リドリー・スコットの「ブレードランナー」から引っ張っている部分があるとは思います。まあ、「ブレード・ランナー」は大傑作ですし、坂本さんがファンでオマージュを捧げても何も悪いことはないとは思うのですが、岡林も、坂本が好きなんでしょうね。そんなところからイメージ持ってくるな、お前はもっと上を行けるアーティストではないのかと檄を飛ばしたのでしょう。

        「未来派野郎」は、今でも充分聴ける作品です。ギタリストの鈴木賢司が畢生のプレイをしていますしね。というより、メタファーとしては、もう少し先の時代に照準が当たっていると思います。もうすぐいずれ、AIを持ったロボットが家電として身近になることでしょうから。これはいいアルバムです。時の轟音を、感じさせるじゃないですか。

        一応、レインのシーンを張り付けようかと思ってユーチューブを探したんですが、恐ろしいことに冒頭でお話ししたようなシーンでは全くありませんでした。
        自分の中で、勝手なイメージを作り上げてしまっていたということに驚きます。何度も見た映画なのに。記憶とか無意識の造作というものは、実に恐ろしきものだと思いました。
        でも、小さく思うのです。なぜベルトリッチは、私の幻想のようにやらなかったんだ。
        | 朗読 | 15:58 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        魂の復権
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          私が朗読しています!


          一体、中世の熊野詣の熱意は、なんだったのかと思うわけです。ある意味では、場所はどこでもよくって、江戸時代にはお伊勢参りになるでしょう。しかし、それはどちらも天皇制に関わっている。

          神武東征。紀元頃、九州の筑紫の野に興った人たちが、何を思って勝手に、近畿地方はおれらのもんだと考えちゃったのか、謎に包まれています。今の常識から考えると、地勢的には、まず中国地方から平定していくのが順当でしょう。けれども、当時、山陰地方には結構強い勢力がいて、容易には平定できなかったとしたら。また、海の民であって海運のほうが得意だったとしたら。
          丁度紀元頃、瀬戸内沿海に高地性集落が出現しています。これは海上権の確保が目的されたでしょう。吉野ヶ里の環濠集落にだって、仮想敵はあったはずで、あるいは朝鮮半島の勢力から圧迫を受けていたかもしれません。
          ケツに火がついた勢力である神武軍は、難波でもナガスネヒコに勝つことはできませんでした。そこで、迂回することを考えた彼らがたどり着くのが熊野です。そこから奈良に進攻した。

          私が右翼が嫌いなのは、神武以前はどうなっていたのかということに想いを致さないからなんです。それ以前にナガスネヒコだっていたのに、あなたはなんで神武派なの? 子孫なのってね。まあ、思想みたいな固い話を持ち出せばですよ。

          まあ、そう難しいことは考えもせずに、熊野詣はあったのだと思います。昔、神武さんがここから上がって来はったんやという。聖地化されてしまったでしょう。ほだらくとかいとか。
          お伊勢参りだっていいじゃありませんか。長い旅して、お伊勢さんでうまいもの食って白い女抱いて。ああよかったなあって。

          江戸時代なんていうと、若い女人が庭にたらいを出して昼間っから水浴びしててなんて話があります。今からすると恥ずかしくなかったのかと思いますが、当時は全然恥ずかしくもなかったでしょうね。春画なんか見ても、お乳なんか全然描かれてないでしょう? 性的対象じゃなかったからです。
          1970年代くらいの少女漫画でも、私はAカップでペチャパイだから、なんてコンプレックスをよくみました。Bだと威張れるけど、Cは話題にされない。それくらいまでは、板みたいな胸の女性が圧倒的に多かったんだと推測します。
          時は流れ、今はDEFGくらいでも普通になっちゃいました。足も長くなったし。30年かそこらで女性の体形が全く変わってしまう。原因は何かといったら、「憧れ」だけでしょう。西洋人みたいにお乳が大きい方が女はお得という。
          お乳のエロスと言うのは、西洋人が発見したのだと思います。日本人にとって、お乳なんて上腕二頭筋と同じようなもので、それを見て発情してたらおかしいだろってものだったわけです。
          西洋だって、昔の絵画を見ると、お乳は強調されてなんていません。ところが、確か19世紀だったと記憶しますが、お乳ブームというのがありまして、おっぱい丸出しファッションというのが流行ったことがあるののです。ふつうのドレスですけど、おっぱいだけまる見せ。
          誰かが、これはええものやなあと気づいたんでしょうね。
          そのブームが過ぎると、今度はブラで隠すようになります。隠しといたほうが、商品価値あがるでって塩梅でしょうか。
          これは私の個人的な考えですけど、巨乳ブームとか、お尻の代替物ではないかと思うのです。あれ、お尻でしょう?っていうね。サルだってお尻見て発情するわけですから。

          魂ってのは、せんじ詰めればタナトスの問題ですけど、エロスとはコインの裏表のような関係にあると思います。一体でしょうという意味です。
          お盆には、先祖の霊を迎え送りします。毎年、雨でも降るみたいに、霊が降ってくる。
          民俗学的に、盆踊りの時には袖引き合って誰とでも逢瀬を愉しんでよくて、でもそれは多分誰とでもいいというわけじゃなくて、それ以前に目と目があって恋情がチンチンに沸騰した相手だったでしょうけれど、その夜に孕んだ子は許されたというんです。婚姻もないのに、普通にその家で育てられた。
          祖先の霊がその子に降りたと考えるのなら、それは美しい考えだと思います。
          | 朗読 | 19:51 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          吉本隆明の講話
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            糸井重里の「ほぼ日」で、吉本隆明の講演が配布されていて、この頃毎日聞いている。
            吉本は知識人だから講演なのだけれど、聞いていると講話に思える。
            ふと思ったのだが、昔のお坊さんは、こんな集いを持っていたのじゃないだろうか。だから偉いと尊敬されていたのじゃなかったろうか。
            なにしろ僧とは知識人のことで、お寺はその拠点だったはずだ。自分だけ悟っても、世に関わらないのなら、無用の長物だ。

            恐らく吉本隆明くらい語れる人も歴史的に寺には結構いたはずで、その域に達しない人が語っていてもその人がいい人だったら全然大丈夫なわけで。
            お寺がそういう場としての機能をやめたから、新宗教などが勃興してオウム事件のようなことになっていったのでしょう。

            「フーコーについて」という講話を聞いた。
            みなさんも、ご自分の考えを持っておられた方がいいですよと優しく語っている。

            日本の平和憲法は、最も進んだものだから、取っておいた方がいいですよ、と言っていた。
            私は昔からそんな意見には反対だった。自己矛盾だと考えたからだ。
            架空の例として、北朝鮮が自国の抱える歴史的問題を解決するために、日本に攻め入ってきたらどうするのか。これは国際紛争と呼べるものだろう。北朝鮮は過去の歴史において日本から虐げられたと主張することが可能であるし、「これまでは黙っていたが、国際情勢の機が熟した」とのべることもできる。これを国際紛争ではないとすることはできない。
            これに対して交戦せず占領されてよいというのであれば、この憲法は自国の存続を半ば放棄していることになるのではないだろうか。
            そんなものは、どこかに軽い身勝手さをはらんでいるに違いないと思った。
            政治家から官僚まで、社長から部長まで、あるいは課長も係長も、誰も何にも責任を取らないような風潮ができあがってしまったのは、実にこの「軽い身勝手さ」のせいではなかったのか。

            フーコーは歴史を層としてとらえたのだという。
            別にそんなことは、ヤコブソンとかラカンも言っていたこと。覚えているのは、「快の打ち出の小槌」の中で、欧州では分母がどんどん変わっていくのに、日本は分母が変わらないままだと分析されていたこと。
            詳しく言えば、Aという国にBという民族が攻め込んでも、分母のAは基底としてのこる。そして、その国に今度Cという国が攻め込んだら、基底はBになるという議論だ。バームクーヘンみたいな層に歴史はなる。
            ところが日本は天皇制が存在するために、分母が変わらないままで、層化しないじゃないかと、1980年に佐々木孝次と伊丹十三は議論していた。

            20世紀の隔ても17年過ぎて、上のふたつの議論は冗談のようなものになった。
            今では、私は平和憲法でいいじゃないかと思う。お飾りなんだから。
            天皇制は、天皇家の負担が重すぎるから廃止すべきだと考えていたが、もう別にいいんじゃないかと思うようになった。高貴な暮らしを経験する人がいてもいいではないか。
            | 朗読 | 16:58 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            タコ・チーズ
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              この間から、スーパーでアフリカ産蒸しダコが目に入っていた。
              「足一本5百円とな? 高い。それになんでアフリカ産なんだ」
              昨今の漁業環境の悪化に伴い、タコはずっと獲れていない。まあ、それでも、時には食いたい。



              「そうだ! チーズと合わせてみないか」
              結果は、芳しいものではなかった。まずアフリカ産の蒸しダコがダメだったし、カマベールを買おうとして、「切れてるカマンベール入りチーズ」を買ってしまったからだ。
              ただ、着想自体は外れではないと感じた。まず、チーズ自体が生姜醤油と合うのか試したが、合わなくはなかった。
              地元産のもっとうまいアツアツの釜揚げタコに、カマンベール、今日食べたゴーダもうまかった。
              おれたちはまだ前進できるはずた。

              ここをクリック→タコ・チーズmp3
              盲人の方とか、老人ホームとか、文字が読めない人向けに、時々朗読しています。
              下らない内容ですが、ひとが触りたいのは、文学とかそんな身の詰まった内容ばかりじゃないと思うのです。

              | 朗読 | 18:48 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              ワルチング・マチルダ
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                ワルツとは、旅の謂いだよと、トム・ウェイツは語っておりました。
                ちなみに、マチルダは殺人鬼です。そんな者とワルツを踊りに行くというのは、なにかサンボリズム的な旅のスリルですね。



                ギブソンがいい音出してます。ハーモニカもグッド。スプリングスティーンかと思っちゃいました。



                トム・トラバーツ・ブルースって、酔っ払いの戯言みたいになるビデオが多い中で、オヤブンは大した貫禄でございやす。



                この人は上手い! ボブ・ディランが歌っているのかと思っちゃいました。



                ホンキー・トンクなピアノが最高!



                トロッターさんは、自分のスタイルを持っています。多分、ぼろいギターですが、頼りなげに歌うほろ苦さ。



                偶然入った店で、こんなライブあったら泣いちゃいますね。
                | 音楽 | 05:55 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                中秋の名月
                0
                  今夜は、名月となりそうです。
                  どうやら、月暈らしきものが撮影できました。



                  画像は加工してあります。私には月暈がもっとクリアに美しく見えます。

                  | 日記 | 20:06 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  月暈
                  0
                    若い頃は、西洋の詩が好きでしたが、齢を食うと漢詩の方がよくなってきます。篠笛でも練習しようかな。

                    劉基に、

                    秋夜の月
                    黄金の波

                    という詩句があります。
                    月の周りに輪がかかる気象現象を月暈といいます。
                    あるいは、この月の輪を波と見立てたのでしょうか。

                    私は中年くらいから、いつでもこの月の輪が見れるようになりました。日によってカラーも違うのです。
                    グリーンが入ったり、ピンクが入ったり。もう10年以上になるので、幻覚とも言えない。
                    街灯の周囲でも見えます。
                    そういえば、ゴッホが星や街灯に「黄金の波」入れてましたね。
                    特定の夜の光にだけエフェクトが掛かるようです。
                    ついでに言えば、宮沢賢治の「天気輪」もこの月暈なのだろうと私は思っています。
                    | コラム | 18:42 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    もし世界が変えられるなら
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                      このマーティン・オナーって人はフィリピン人だということが判明しました。
                      英語ペラペラですね。上流階級の人かな。
                      ギターが滅茶苦茶うまいですね。

                      これだけ弾けるのなら、CD買ってもいいかな。

                      | 音楽 | 18:49 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP