【夢占い】 人肉をくらう

さすがに、いくら夢日記にせよ、こんな内容を書くべきではないだろうと考えた。それよりも、一体そんな内容の夢占いはネットに出回っているのか?
(まさかね)
と思いつつ検索すると、あった。
象意は、現状は精神が疲弊しているが、逆夢であり、運勢は上向くというものだった。良い内容なので、メモしておくことにする。

夢に道徳を求めるのも違うが、ここのところ、「人を斬りまくり」とか、攻撃的な内容を見る。ストレスもクライマックスといったところだろう。
一番弱いときが、逆に最も強いときであるというのは、なんとなく理解できる。だからといって、夢占いどおりになるとも限らないが、期待はしよう。

弱っているためか、いつもより死について多く考える。昔からの希望は、山に入ってネイチャー・ゲームみたいに自分を埋めて死のうというものだ。まさかアパートで孤独死(なりかねない!)なんて嫌なので、衰弱する前に決行しなければならず、日ごろから覚悟を持っておく必要がある。だから死に向き合うわけだ。
50の声を聞いたら、いつ病を得たり、お迎えが来たりしてもおかしくはない。実際、「えっ、あの人が」と驚くような訃報にも接するようになる。自分の人生だけは、いつまでも続くのだと考える方がおかしいよね。
縁戚はあるが、まさか世話になりたくもない。誰の生活だって、そんな楽ではないのだから。

最近、平田篤胤の「仙境異聞」を読んでいて、面白い記事を見つけた。山に入って生活しておれば、獣も最初は警戒して近づかないものの、やがて慣れれば食料さえ持ってきてくれるようになる。そんなふうにして30年もたった者が山人であるという。
別に、昔話の山姥なんか、姥捨てで捨てられた人が活気づいて生き延びたのではないか、という話も聞いたことがある。案外、そんなことなのかもしれないと思う。

病気であれ、行き詰ったのであれ、ネイチャー・ゲームみたいに、ただ死んでしまうよりは、最後のサバイバルを楽しむことができる。それもいいかなと考え始めている。
毒草を食べて死んでしまう確立も高いが、それを惜しむような賭けでもないわけだ。
どうせなら、南の無人島のほうが、魚が取れるのでいいかもしれない。
最悪なのは、誰かに発見されて保護されてしまうことだ。おっと、それについては、まだ考えていない私だった。

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守護する者

新しい土地へやって来て、半年、いやもう八か月か。
望んでやっていることではないのですが、ここでも守護者やっています。台風は避けています。この夏、今度こそはダメだろうなという危機は沢山あったものの、大過なく過ぎています。自分でも不思議なことながら、災害は未然に防がれています。
"Not I, not I, just a wind told me."
でしたっけね、「知恵の七柱」にあった気がします。ロレンスを真似て宮沢賢治も、「私じゃありません。ただ風が告げたことです」なんて書いていましたっけね。
そう、私じゃないはずだけど、人知れずの力は発揮しているのかもしれません。
台風21号は、この土地に災害はもたらしません。
えい、もう面倒なので、正々堂々と結界張ったるわ。

ふふっ。行くぞ、三尺坊。

うーん。ちなみに、予定しているマンガでは、三尺坊がサブ・キャラとして重要な役割をする構想になっていますヨ。


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鶏ニク

週刊文春で大腸菌が危ないといわれた鶏肉だったが、気にせず食べている。
今日も食品スーパーを覗いたのだが、さしたる魚肉はなし。
魚パックに「地もの」というシールはたくさん張ってあるが、それは天然を意味しない。養殖ものだって「地もの」シールが貼られる。こういう詐欺まがいのシールは勘弁して欲しいと思う。一時期は騙されていた。養殖魚なんて、畜産以上のゴミだ。
で、魚肉で芳しいものがなければ、鶏肉となる。

まあ、これも週刊文春の記事だったと思うが、「鶏肉でもブランドものを買いましょう。エサが違っています」なんて記事を読んで、成程と感じたものだった。
昔、養鶏業者だったので、エサをすこし工夫するだけで別物のような卵になることは知っていた。例えば、海藻を混ぜる、緑草を混ぜる程度の工夫でも、卵の質感から違ってくるのであった。

こないだスーパーで買った鶏モモ肉が、とんでもなく臭かったので、異様に感じた。腐っているのかとさえ疑った。
しかし、やがて、それもうまさなどに頓着しない価格オンリーの鶏肉業界のワザであると考えた。
(どんな飼育をしたら、これほどまでに肉が臭くなるのか?)
と、衝撃を受けた。

別に贅沢を望んでいる者ではないが、もう100グラム55円の鶏ムネは買わないことにした。その鶏ムネは、ロクに味もしないのだが、モモは臭い。同じ躯体からのものであることは疑えない。デッドだ。そんなゴミ食うくらいなら、何も食わないか、高野豆腐だよ。

以前、親戚が来たので、庭先飼いの赤色野鶏を捌いたことがあった。ペットとしていた愛玩動物だったので、かなり抵抗があって、私は少しつまんだだけだったが、みなさんウマイウマイと言って食べていた。確かに、それはうまかった。
庭先飼いの鶏と比較するのは間違っているが、さりとて業務用の食べて臭い鶏肉も間違っているだろう。

「ええー? 料理レシピの鶏肉の臭み消しは、このデッドな鶏モモだからなんですかぁ」
などと、余計なことも考えた。
別にね、鶏肉は本来臭いものではないです。

モト業者としては、反省の一場面なのだった。
まあ、だからって、【一人暮らし】編も、よろしくお願いしますね。へへっ。へっへーだね。

一人暮らし | comments(0) | -

スーパーマン世代

大谷翔平が投手復帰するという。類例のないスーパーヒーローであるだけに、故障するんじゃないかと思っていたが、杞憂ではなかった。
「やはりな」
などと思っていたので、投手復帰のニュースには、いささかの意外感があった。

ところで、近年、世界的な王者となる日本人がいくたりも出てきましたね。
野球なら、メジャーの先陣をきった野茂が評価されますが、正直言って同じ野球をしているのだし、野茂が活躍しないと予想した人は少なかったのではないでしょうか。私には、ファンだったもののイチローの躍進が意外でした。けれども、内野安打もヒットにする独自のプレー・スタイルでアメリカ人の心を掴んだことには脱帽しました。自分で編み出したスタイルを米国でも通用させたことは、ソニーくらいのレベルであると思います。
ところが、大谷の場合は誰もやったことのない事に挑戦していて、いわば王者レベルでしょう。

気分がくさくさすると、大谷のバッティングをイメージします。ビデオなら幾らでも見ていますので、イメージだけならマネできます。それでマイナス思考をかっ飛ばすわけです。
大谷の場合、アッパー・スイングで、インパクトの瞬間にバットがトップ・スピードになるフォームです。
米国の野球解説では、パワーが凄いといわれますが、まさかあんなファッション・モデルさえできそうな体型で、米国のトップ・プレイヤーのようなパワーがあるわけもないと思うのですね。見てわからないのかなと思います。大谷の場合は、パワーというより、自分で考え出したバッティング・フォームが優れているのだと。
そうした仮説を持ったために、日本のパワー・ヒッターの打撃も比較して見ましたが、みんなキレイに振り抜いていて、大谷の様式ではないのでした。

テニスでいうなら、大阪なおみもインパクトに最大の力を込めるフォームです。大谷も大阪も、それは素人目でわかるほどです。恐らく、バットとかラケットとかを振り回す他のプロ選手もみんな、そのことは考えているのでしょうが、素人の目に見えるほどには至っていません。
よく日本のプロ野球選手が、
「子供たちに、夢と感動を与えられるように」
なんて紋切り型を言います(もういい加減にして、もう少し気の利いたことを言って欲しい)が、たとえその分野のトップ・レベルであったとしても、感動するなんてことは少ないものです。そんな中で、大阪なおみは、もっと見たいと思わせる稀有なプレイヤーです。
大阪のフォア・ハンドは片手打ちなので、明らかに腕がしなっているのがわかります。大谷の場合は、両手打ちでそれをやっているわけで、もうそこにフィロソフィーがあるとしか言えないです。大谷はパワー・ヒッターではなく、テクニカル・ヒッターです。
大阪なおみに関していえば、加えて、ジャンプしながら打つんですね。
(なんだ、コリャ?)
と思いましたよ。だって、両足を接地していなくては、下半身から上半身へ至るヒネリの力が使えないのですから。
「翔ぶ魔女」とでも名付けてみましょうか。
彼女の場合、打撃は腕のしなりでパワーを伝えられる。跳ぶ行為は、打点を高くしているのであり、その分フラットに打てるということなのでしょう。CMで伊達公子が、ラケットを寝かせてスピンを掛けているシーンを何度も見るのですが、思想性が違うわけです。低い打点から打つにはネットがありますから、山なりの打球でスピンをかける必要があるでしょう。ところが、高い打点から打てばフラットに打てる。大阪なおみの場合には、思想性で常識を覆していると思われるのです。

大阪なおみ20歳、大谷翔平24歳ということで、ちょっとこの世代の活躍は異様にさえ感じます。
加えてフィギュアスケートの羽生結弦が23歳。
スポーツで感動するなんて、そうそうあることではないと書きましたが、彼のオリンピック演技には感動しました。もう、演技の最初から目つきが違っていましたね。
羽生の場合は、オリンピック出場さえ危ぶまれた体調だったわけですが、修羅場は何度もくぐってきた人なのでしょう。修羅場こそ、最大の力を発揮できるものと知っていた感があります。それでなくて、どうしてあの目つき、できましょうことか。

「突破者」なんてタイトルで宮崎学が自伝を書いてしましたが、革新的であるスーパーマン世代にも相応しい称号と思います。

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たまにゃ悲愴もいいもんだ

先日、夢占いで「人を斬りまくり」というタイトルの記事を書いた。それは、「大過なし」と「致命的な失敗」とに、ネットでの象意が別れた。その翌日には大過なしに思えたのだが、失敗は遅れてやってきた。先日、勤務変更を忘れてしまい、すっぽかしたのだ。これ以上ないような失敗だ。
「今日、勤務ですよ」
「ハレホレヒレ?」
私は実家に帰っており、しかも酒を飲んでいたので、対処法はなかった。暑さでどうかしていたが、よくよく考えると勤務変更は言われていた気がした。こんな失敗はしたことねえなと思いながら、退職を申し出た。まあ、こんなことがなくても、もう限界を感じており、辞めることができるなら、その方が楽だった。
ところが、退職の申し出は一蹴された。翌日上司から電話があり、改めて退職の申し出をしようと思ったのだが、敵もさるもので、妙に明るい声を出し、退職のことには一切触れないので、言い出しかねてしまったのだった。後から考えると、今やめられては困る人間としてカウントされていたのだろう。

問題は、私のカバーで実際に迷惑を掛けてしまった職場の同僚等との顔合わせだった。私は口下手で、これまでも良好な人間関係を築いていたわけではない。
(なに言われるのかな)
辞めるとは言ったにしても、流石に今月いっぱいは勤めなければ人間としてマズイだろう。逃げてしまうわけにはいかない。針の筵だ。

けれども、いい歳なので、こんな経験はいくらもある。どう考えても修復できないほど壊れた人間関係になっても、にっこり笑って「ごくろうさま」と勤務交代したこともある。ところが、それでなんとかなってしまって、その人とは以後良好な関係を築けた。人間、当たって砕けてみなくちゃわからないものだ。身の始末は砕けてから、また考えりゃいいんで、その前に逃げてしまわないことだ。
と、分かっていたにしても、砕ける覚悟は辛いものだ。逆に、そんな時こそ最も生きているわけで、片頬で笑みながらファイトを募らせたりする。

不思議なものだ。平謝りしたにしても、今回も過ぎた。
もっとも、一度辞めると口を切った手前、会社の都合で「あ、辞めるんだったよね」と、いつなりとも首を切られて仕方のない身分になった。それについては、覚悟して行動しなければならない。
どうあれ、今の職場は今年いっぱい。来年またどうなるか。もう、若くもないので、可能性も狭まっている。
とはいえ、私みたいな人も、この日本にはいくらでもいるのかもしれない。そんなブログに行き会いたいものだな。
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信長の野望「創造」はやり込める

案外と、信長の野望「創造」のコラムに対するアクセスが多い。
これは、今だ私も遊んでいて、やり込み要素は多い。
美麗な日本全土の地図、各武将のグラフィックも相当進化し、一部の武将では年齢により変化し、三枚も使われる。そして、全てのシナリオを制覇した者(私のことだが)でも、初めて出会うイベントが未だにあるから驚く。
これは、従来不評だったコーエー独自サイト方式をあきらめ、あの「スティーム」で扱っていることが大きいだろう、未だにちょこまか手直しがされているようだ。具体的には、これまで見なかった城の見取り図など、城マニアも魅了するものを取り入れている。あるいは、軍団長が意見を述べる窓が開いたりする。随意のアップ・デートが可能なスティームならではのことだろう。



信長の野望シリーズには、既に下の新作「大志」が出ているが、これは不評のようだ。もっとも、信長の野望シリーズには悪評がつきもの。「創造」だって当初はボロクソにされていたので、アマゾンのカスタマー・レビューなどそれほど信頼できるものではないと私は思っている。が、「創造」と較べて何が新機軸なのかは、わからない。マイナー・チェンジといったところか。やる気は起きない。



更に、下は信長の野望「創造 戦国立志伝」だ。これもスティーム・バージョンらしい。発売は、「大志」より前だ。例によって、アマゾン・コメントは悪評しかないが、スティームなら、随時改善されていくはずだ。



「創造 戦国立志伝」は、一武将からスタートできるというもの。これは往年のナポレオンを扱った「ランペルール」のシステムだ。
ランペルールは素晴らしいゲームで、私はファンだったのだが、続編は続かなかった。
他にコーエーの傑作といえば、水滸伝が挙げられるが、これも続編続かず。
まあ、三国志などは、一度、クソに当たって腹がくだり、以降やる気はない。やはり、コーエーは信長でしかないのだろう。

PCの進化は、ペンティアムの4700Kくらいで止まっているので、現状ではそんなにPCゲームの革新もないのかもしれないが、仮にもっと進化したらと思う。
信長の野望なら、本当に戦国武将の疑似体験さながらのムービーで展開されることになるのだろう。

何度も書いたが、信長の野望「創造」は、私の理想のゲームだった。こうして欲しいという要素を全部実現してくれた。ボードゲーム的なPCゲームとしてのゴールに到達している。
次の展開は、CPUの進化なしには無いだろうと思う。

ちなみに、私の一番好きな「創造」のイベントは、上杉定美の国譲りだ。
「おれはあやつのことを心底憎んでいたよ」
と上杉謙信の父を評ずるのである。最初、これは誰が書いたシナリオだろうかと感心してしまった。
コーエーは、小説とかドラマとか、話題作を取り込んで商売してきたが、元ネタになった小説があるのなら読みたいと思わせるものがあったし、もしコーエーのオリジナルなら、評価は一段と図抜けたものになる。
既にゲーム中のグラフィックは、芸大出のひとがサラッと描いてるねと思わせるものだが、有能なシナリオ・ライターまで抱えているとしたら、総合エンターテイメントとして、小説はもとより、金のかかった映画さえ越えていくだろう。
クール・ジャパンがなにか知らないが、ここになら税金を使って発展させてもいいとさえ思える。

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浴衣

実家に帰ると、浴衣が出してありました。出先の基地(アパート)で着ようかなと迷っていたので、リンクしたかと思った次第でした。
ある時期以来、母とはテレパシー・リンクの状態になっていまして、こうしたことが偶さか起きるのです。
もう、母は随分ボケてしまっていて、記憶障害や、身体能力の欠損も見られます。人の能力が欠落していくのを見るのは、ものがなしいものです。
その一方で、憎憎しかった母が、ここのところ子供のように可愛らしい声を出すのも聴きます。推定の精神年齢は2歳くらいでしょうか。

親なんて、半分以上の人が憎んでいると思いますね。後の半分は、幸せな人だと思います。うらやましくもありませんが。
歳を食ってから、ビリッと音を聴くような、横紙破りを経験される方もいるでしょう。それは兄弟姉妹の関係も同じでしょう。それも家族だからこそ、なんです。他人との間に、そんな濃密な人間関係は、なかなか生じないでしょう。
心底憎むということも、相手のことを飽きるほど知っていて、抜き差しならない利害関係を持たねばならないでしょう。

「ありがとな」
「なにがだい?」
気になっていた浴衣が出してあったことが嬉しくて会話を交わしましたが、理由の説明は無意味なので、しませんでした。それでも、なにか伝わったはずですし。

夏の暑い日のことでした。
空気はむせ返るほどに水分を含んでいて。

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ブログの収益化なんて

アドセンスの審査には通りました。ネット情報では、二次審査があるとされていたものの、そんなこともなく、ユーザー・ページに入れました。
ただ、広告自体はまだ表示されません。色々やっていますが、待つのも方法かもしれません。

グーグル・アドセンスが高収益だとしても、現在のこのブログのアクセス規模からすると、月に50円程度が妥当なところで、それでは支払いもないでしょう。数千円たまらないと支払われないということですから。
ブログの収益化なんて、とても難しいですね。

望みは、仙境異聞のマンガ化だけです。なにせ画像があるというだけで、アクセスはアップしますから。
一応、なんのひねりもないですが、仮のタイトルは「仙境来記」です。
まず、ストーリーの妄想からしなければなりませんが、出だしに関しては進んでいます。
絵が、面倒なんだよね。
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グーグル・アドセンスに応募しました

私だってね、これまでアフィリエイトだとか、ブログで金儲けみたいなことはやっていましたよ。
記憶にないほど昔には、キックバックをもらったこともあったと思います。
今は、うざいだけなので、広告無しでやっています。
時々アマゾンにリンク張ったりしますが、これは読者サービスの一環に過ぎません。アマゾンなんて、最早おかね呉れません。

そうした情況にあって、ブログ村をたどって見ていたブログから、グーグル・アドセンスは、お金が入ってくるようだと知ったのです。

私の老後といえば、このまま宝くじにも当たらずに順当に行けば生活保護でしょう。自営の期間が長く、年金なんて期待できません。
なんか問題でも起きたら、死ぬだけさ、という覚悟と共に生きています。
とはいえ、生きるために、あがかなきゃいけないというのもまた「やらなくちゃいけないこと」であるでしょう。

近頃、マメに記事を書いているのも、アクセス・アップのためです。
いやね、曲がりなりにも稿料が入るのであれば、日々の鬱憤晴らしみたいなことでしかなかったブログ内容も、自ずと変わるでしょう。

グーグル・アドセンスも審査が厳しくなり、どんなサイトでも通るわけではないようです。
私の弱みは、このブログがサブ・ドメインになることですね。
もっとわかりやすくいえば、私はオリジナルのドメインを持っているものの、それはほったらかしにしていたozuno.onlineというhtmlサイトです。対して、ここは、blog.ozuno.onlineなので、サブになってしまうわけです。

そんなわけで、審査に通るよう、htmlサイトに手を加えました。
私の自作音楽MP3が聴けるようになりましたよ。

もし審査に通ったら、グーグル・アドセンスの広告を貼ることにします!
ワン・クリックで10円らしいので、私の記事に10円支払う価値があったと思われた場合には、どうぞよろしくお願いします。
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霊は存在するか



ちと、長い論文になります。企画スサノオ・テレビがぽしゃったので、その埋め合わせでもあります。
まあ、ブログの副題が「世の中の不思議」でもありますし、テーマに沿った内容です。

1. 霊現象は誰にでも見られるものではない

最近、ツィッターで月の輪観察記を始めました。それで、つつ思い出したのは、
「これって、誰にでも見られるものじゃないんだよな」
ということでした。
月の周りに見える輪は、気象現象としては月暈と呼ばれます。ひらたく言えば、月の周りにかかる虹様の環と言っていいでしょう。
気象現象としての月暈は誰にでも見えるはずのものですが、月の輪はちょっと違います。
私が見られるようになったのは30代後半のことでした。

宮沢賢治は、よく日輪とか月輪を絵に描いていました。面白い絵ではあるものの、別段画家でもない宮沢が、このような絵を描いたのはなぜなのか。今では奇異の表出を目的したと考えています。もう少し言えば、特別なこととして、描き残す必要を感じただろうということです。
そんなことが意識にあったのか、ある日同調するようになったのです。その不思議な感覚は、今でも覚えています。見れば、夜の街灯の周りにも環は見られるのでした。
「ヴァン・ゴッホか」
ゴッホは好きな画家です。街路灯や星の周りに、キース・ヘイリングのような線を描きます。私は誇張表現だと思っていました。子供がよくやるように、太陽の周りに線を入れるような。
自分でも見られるようになって、初めてゴッホが「見たまま」を書いていたことを理解しました。

光りも音も、人間には周波数で認識されます。人間は、生物として生活するのに必要な周波数に特化して情報を得ているに過ぎません。別な言い方をすれば、それ以外は生きるのに必要ないのでカットしているわけです。
ですから、場合によっては、新たな周波数帯を獲得することも起こり得るわけです。何の必要かは私も存知しませんが。
次には、音の例を出しましょう。

昔、工場で警備員をやっていたことがあります。騒音問題の苦情があって、それも一風変わったもので、クレーマーは「誰にでも聞こえる音ではないが」と控えめにいうのです。
私はパトロールするときに、その騒音源を探して回りました。職場の誰も聴こえないのに。
「やめておけよ」
と上司から言われましたが、私は興味本位で続け、何日か後に、ついに音の在り処を発見したのでした。
なるほど、確かにその音は、聴こえるようになってしまうと気色の悪くなる騒音でした。
本社の人間が訪ねてきて、クスリと笑いながら、
「それで、オヅノさんにはその音が聴こえるわけですね」
と尋ねるのでした。
「ええ、気分が悪くて」
会社は、たった一人のために、何千万円の騒音対策を施しました。
これは全体として、普通には聴こえない周波数に同調してしまうという例証です。後日談としては、幸いにもその周波数は、カットすることができました。仕組みは、わかりません。

霊現象は、誰にでも体験できるものではありません。上記したように、ある周波数に対してオープンになっていなければならないわけです。
物好きな人もいることは理解しますが、私としては、そんな風にはならないのが吉だと思います。

2. 霊現象の種類

これは、地縛霊と憑依霊に分類できるでしょう。
地縛霊は、簡単に言えばサイコメトリーの原理で、念が付着した土地に憑くものといえましょう。
「形あるものには魂が宿る」
といった日本古来の考え方を私は素直に信じる者なので、これは肯定します。
特徴として、生きてはいない、録音テープのようなものです。そんなものを見られることを自慢する方もいるのですが、バカげたことです。考えてみても、何の意味もないし、出来ることといえば、鎮魂くらいの事でしょうが、私はそういうお節介には興味がありません。
逆に、憑依霊は生きていて、それ自身の精神によって活動するものを指します。
「そんなバカなことが」
と思われるかもしれませんが、一応、インディアンの呪術師であるローリング・サンダーも、それはあるとして体験談を述べています。私としては、認否を保留しています。

憑依霊の亜種としてあるのが、自分に憑く守護霊のようなものです。亜種としたのは、ユングがそれを副人格と分類しているからです。
ユングは幼いころからサブを持っていましたし、他人のサブの人格が話すのも分かったといいます。
「今の言葉は、母のサブが言ったな」
なんて具合に。
これは、チャネラーにつく宇宙人とか神様も同じです。実際、私もこの亜種を持っていますが、自分の中の他人(副人格)なのか、独立して存在する霊魂なのかは、判別できません。
どうあれ機能が変わるわけでもないのですから、どちらでも構わないのですが、私は理屈を考え抜きたいタイプなのです。

アイヌの場合は、ひとりにつき二.、三の霊がつくという伝承があります。数が数えられるくらいですから、アイヌの霊能者には、見えていたのかもしれません。
わからないことは、素直にわからないと言うにしても、こままでは分かったぞ!ということは、言いたいかな。

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