笑う蘇民将来

世の中の不思議
縄文海進について、人はあまり知らない
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     日本列島の地図を見慣れているせいで、太古からこの敷島は今の形だったと思いがちですかね。かまやしません、私だって、十年前に津島神社に行って、付近に堤防の遺跡があるのに驚いたくらいですから。
     (こんな内陸部に堤防が?)
     縄文海進は知っていたにせよ、それは驚きでした。
     縄文海進とは、およそ6000年前に、氷河期の影響で海抜が上がっていた時期のことをいいます。大昔のことじゃねえか、とは思わないでください。江戸の都だって、三河武士が鋤鍬を振るって開拓した土地が少なくありません。尾張などは、信長様の時代から開拓されており、津島神社付近は海岸だったのであり、物流の要衝だったわけですヨ。



     上の画像は、「しま爺」さんのところから拝借したものです。
     ウェブはこちら→ https://ameblo.jp/blob-shima-jiiya/entry-11996409533.html
     これは古すぎる絵かと思います。津島さえ陸になっていない。私にとって問題なのは、スサノオがやって来たとされる3500年前はどうだったのかということです。もう少し海が引いて、陸が現れていたとは思います。とはいえ、信長時代でも津島が海岸線があったとは推測されます。

     今日、氷上姉子神社に行ってきました。昔、行った時のように、斎の宮にはたどり着けませんでしたが、ここは高台です。これに反して、現在の熱田神宮付近が太古に陸地だったとは、私には考えにくい。元熱田という呼称が示すように、氷上姉子がヤマトタケルが絶望した地ではないかと考えます。思い入れでこしらえた津島と氷上のカップリング説もあきらめてはいません。
     ところで実は、氷上姉子神社が以前より衰退しており、「あれっ?」と思ったのではありました。お守りを買い求めようとしたところ、
     「あれっ? これは熱田神宮のものですか?」
     「そうなんですよ。少し前まではここのがあったのにねえ。全部熱田神宮のものになってしまいました」
     などというご返答。買うつもりで行ったのに、買えませんでした。熱田さんなど信じていないもの。(因みに、私の地元で信じられているのは秋葉さんです。よって、熱田神宮より南に少し下った円通寺が馴染みだったりしますヨ。秋葉山本宮は、昨年初詣しました)
     前は、テレビ番組で元熱田(無論、元伊勢と同様に、元々の熱田の地というニュアンス)であったと紹介され、結構な賑わいがあったのです。残念です。

     今日は、氷上姉子界隈をビデオ撮影しました。テストでもあり、面倒なので、画像はアップしません。ごめん。
    | スサノオ・テレビ | 16:55 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    シングル・ライフで 冷蔵庫なしは可能か?
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       シングル・ライフというと何かコジャレタ感じがあるけれども、私の場合はボロ長屋すまいなんだけれども、一応単身なんだな。今は徐々に生活を整えているところさ。
       冷蔵庫は当然買うべきものと思っていた。文明の利器であって、昭和の人生と共にあった。独り身用の小さいやつを買うつもりでいた。むしろ、一人暮らしの持ち物査定で、これは要らないんじゃないのかという候補になったことが意外だった。
       今は実家に帰っていて、母に天然ブリのカマ塩焼きを作ってやったほど、料理に関してなら人並み以上と自負している。オレ、コンビニ生活だから冷蔵庫いらないよ、という者ではない。

       色々考えて、冷蔵庫は生活必需品ではないのではないかと思うに至った。勿論、貧乏乾いていなければ、小さな冷蔵庫くらい持てばいいのだが、そこは切り詰めた貧乏人の考えることである。どうしても必要であれば買うが、今はまだ我慢できる。
       もし、贅沢したくて色々な料理が作りたいというなら話は別だが、貧困生活ともなれば、削れるものは多い。肉は、干し肉に加工すれば冷蔵はいらない。10個も入っている卵パックなどいらない。バターも料理必需というわけではなく、オリーブ・オイルなどいくらでも代用可能だ。冷えたビールなど、コンビニで買ってすむものなら、コンビニが冷蔵庫だ。と、色々考えると、冷蔵庫を買うに躊躇する。しかるに、冷蔵庫とは昭和の贅沢品だったのだろうか?


      | 日記 | 14:09 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      新生活・近況
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         愛知県西部に引っ越して、一月も経たない。段々に、生活品を整えている。今日はイグサ・マットを敷いた。ボロ屋で、水道の蛇口は全滅の水漏れ。照明器具がなかったので、自分でシーリング・ライトを取り付けた。畳表は磨り減って靴下にイグサが着くという有様だ。涙目になるのをとめられないが、そんな安かろう悪かろうが気に入ってもいる。



         イグサ・マットを敷いて、一段落ついたような気分になって、ビール。銀座ライオンはうまかった。サッポロは、なんやかやでダメになったけれど、かつては外人人気ナンバーワンだった。銀座ライオンも思い出深い。
         コンビニで、ビールとカラムーチョにタバコと週刊誌を買ってきた。メシは自炊できるくらいに体勢を整えたので、買わずに済むようになった。週刊誌は、どれも軒並み400円代で勝負しているのだが、それをむしり取るのも大変なんだろうなと思う。これまでは職場の食堂にあったので買いはしなかった。

         ノート・パソコンも買って、ネット環境も整った。ノートはi7、16Gメモリ、グラボ付きで3万4千円の品だったので、セット・アップには手間取った。
         ワイファイを導入しなければならないと思っていたのだが、スマホのテザリングでなんとかなってしまうことに気づいた。ウェブ閲覧とブログがやれればいいと思っていたのだが、このノートなら、ムービーの編集もやれそうだ。
         音楽は、ユーチューブで聴く。


        | 日記 | 21:06 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        スサノオ考1
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           スサノオについて考えてみたい。
           さすがに私も、スサノオの発祥がメソポタミアのスサであると初めて聞いた時には、
           (はい、はい)
           と眉に唾したものだった。読んだのは、八切止夫だったろうか。確か八切は、正倉院所蔵のアラビアのカットグラスを例に持ち出し、海のシルクロードという概念をぶち上げていた。陸伝いにガラス器を運搬するのは至難だが、海路なら可能という説だった。一定の説得力がないでもない。産鉄民が海伝いに移動した可能性は十分あると思う。褐鉄鉱は、湿地の植物の根から取れる。
           それはそれとして、天皇家とユダヤの関係は巷間噂されるところだが、シュメールとスメラミコトの音韻が似ているにせよ、そういうことだけでは歴史ロマンにはなりゃしない。根拠が希薄という感想しか私は持っていなかった。
           けれども、津島神社は好きでよく行っていたし、地元の英雄織田信長は元々福井県からの流れ者だったことなどを折に触れ考えると、歴史の重層性を思わずにはいられないのだった。興味が尽きなかったのである。

           日本史は、歴史がスパイラルに幾重にも繰り返すことがよくある。例えば産鉄民のスサノオの渡来の後に、同様産鉄民であったヒボコが、これも福井県の敦賀に漂着している。ヒボコは西へ、スサノオは東へ移動したものらしいが、両者とも一旦は畿内に入っていることから、文化の混合あるいは混同があったのではないかと考えている。今では民俗的にスサノオと蘇民将来信仰が結びついているのだが、これは実はヒボコの文化ではないだろうか。蘇民とか古丹とか、朝鮮語くさい名がそのまま残ることは、より後代の流入を考えさせるからだ。さらに、スサノオには牛頭天王の異名があるが、これもツヌガアラシトとの混同ではないのかと私は考えている。

           問題はモチベーションである。発端は王都スサからの都落ちとしても、またユダヤの失われた支族と考えてもいいが、何が悲しくて大陸の東の果てさえ越えたのか。これが長い間の疑問だった。今は、産鉄民だったからだという解答を持っている。彼らは、サーカスのテントが観客を求めるように、鉄資源を求めて移動する宿命にあったのだ。
           まず、製鉄は当時の最新テクノロジーだった。金よりも鉄のほうが5倍も高価だったのである。そのことがもたらす富の集積は、いかようにしたのだろうか。領土欲はなく、移動が民族的習性なら貨幣もあまり意味のないものだろう。人が富だったかもしれないと思う。征服民のように現地人を強姦し奴隷化するのではなく、婚姻によって習合する習性を持っていたことから、現地の優れた人の血を入れることが富そのものだったのかもしれない。子孫繁栄が人類の目的ならば、理に適っている。人の歴史は戦争の歴史とされるが、そうではない民族の形を浮かび上がらせることは、楽しく面白い。戦争が描く悲惨ではなく、冒険と楽園が足下にあるよね。




          | スサノオ・テレビ | 12:18 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          旅をする者
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             比喩的になら、ひとつところに一生住まおうと人生は旅であると言いうるが、私は50過ぎて生家を出、旅をすることになった。家には認知症の母をひとり残している。
             家族愛というものを、不遇な他人を詰れるほど疑いなく信じられるのは、クリスマスの靴下が子供時代のいつ頃までツリーの枝にぶら下がっているかに似ていると思う。私は人生の中で、普通よりは早めに、サンタクロースなどいなかったことを知った。それでも、ギフトは確かにあったのだけれどもまた、愛憎は半ばでせめぎ合い、喪失の側を受け入れるには時間がかかった。
             出奔する際、「なんでこんなことになったのか」と母は独りごちたが、それは笑ってしまうほど私も同じ想いだった。ただ、私たち親子にとってこの展開は必要なのだと思うしかなかった。錆びた包丁ほどにも切れ味の悪いジョークに聞こえたが、もうその時には茶色くサビた味わいを漂わせてもいた。争いは乗り越えた後だった。
             これ以上抽象的なことを書くのはやめよう。「ああ、そんなこともあるよね」とわかってくれるのは、同じようなことを経験した人のみ。くだらないゴタゴタなど知らずに甍に入っていく人もまた少なくないことだろう。
             今はアパートで一人暮らしだが、ここにもいつまでいるのかわからない。仕事の都合でどこへでも行く。

             蘇民将来伝説に出てくる神様はスサノオとされる。それは地元津島市の津島神社が総本山とされるのだが、スサノオまたは蘇民将来信仰は全国に散在している。スサノオは産鉄民だったから、それこそ仕事の都合で全国を渡り歩いたのだろう。旅をする神の由縁だ。
             最初、鉄を求めて朝鮮半島から福井県あたりに漂着したものらしい。一説には、古志人と争いになったとされる。ヒイ川(日野川?)のテナヅチ、アシナヅチだ。名前からツチグモが連想される。日本の裏面史として、まつろわぬものはサンカと総称されるが、実際にはいくつもの部族にわかれるだろう。因みにサンカはスサノオを穴居抜けの神として信仰したという。さらに隠避せずに書けば、蜘蛛とは八つのことであろうと私は推測している。ツチは穴居生活を示すだろうか。この部族がどういった範囲で分布していたのかは私にはわからないが、名古屋市の市章は八であり、濃尾地方に関連性があると考えている。
             この地方でもうひとつ気にかかる神社は、氷上姉子神社である。これは津島の南東に位置し、草薙の剣に縁のある元熱田として知られる。埼玉の氷川神社も祭神はスサノオだが、「ヒ」という名が入っており、関連が注目される。つまり、津島(スサノオ)に対して「ヒ」の神のクシナダヒメを祭ったのではないかという推測である。クシナダヒメとは、スサノオがテナヅチ、アシナヅチと争い後に習合したことを示す婚姻の姫である。アネゴというくだけた名が示すように、姐御肌のやり手だったのかもしれない。そうでなくても、渡りの民と地元を結ぶ象徴の装置として機能したことは十分考えられる。
             北陸から濃尾地方に移動したのではなかったろうか。ところが、愛知県にはあまり産鉄地がないという。この点で、なぜ津島なのか疑問が残るが、湿地であり褐鉄鉱法には適していたかもしれない。
             そもそも産鉄民には領土欲というものはなかったが、経済活動をするためのネットワークは必要だったと考えられ、当時は海岸だった津島や元熱田はその拠点だった可能性がある。北陸から尾張へ。そして東北にもスサノオ信仰が多いことから、東に移動したことが伺えよう。

             ついでながら、私の先祖は代々鍛冶屋だったと聞く。こんなことに興味を持つのも、なにかの奇縁であるのかもしれない。
             ところで、こんなことをいくら書き連ねてみても、スサノオに詳しい方になら興味を持って読んでいただけるかもしれないが、大方、ネットにごろごろ転がる歴史ロマンとして受け止められることだろう。我慢して読んでさえもらえないかもしれない。しかしね、今はそんなことが必要な時代であるとも思うのだ。これを神社の映像でやれたら、面白いかなと思う。

            | スサノオ・テレビ | 15:53 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            笑う蘇民将来
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              2018年、どんな1年にしたい?

              私が年替わりの日と目する冬至は昨年の12月22日だった。明けて23日は、津島市の温泉「湯楽」に行った。「湯楽」は温泉だが、ジャンボ銭湯をイメージしてもらえばよいだろう。私は夜勤である都合上、昼間、宿代わりにそこで睡眠する必要があった。
              そこで、60席ある安眠室なのに、わざわざ私の隣にまかり来て笑うジジイがいた。
              2、3回までは「はて?」と思った程度だった。かなりの間を置いて発作のように笑うのである。5、6回になってくると流石に気に障った。笑いが起こると同時に、「ゴーゴー」という気色の悪い気管を震わせる息がした。それと共に子供の笑い声も聴こえる。
              「お爺ちゃん、迷惑ですから、やめてください。○○ちゃんもね」
              という婦人の声が向こうから聞こえた。その注意は二度ほど聴こえた。それで、認知症の爺さんと、孫で知恵遅れの子供の所業だろうと推測した。
              (あのご婦人も、色々と大変だな)
              認知症なら仕方ないとか、知恵遅れの子供なら仕方ないとか、私は色々に思った。
              私の母は認知症だし、甥には知恵遅れが二人いる。余人より理解はあるつもりだ。

              それに、ここは津島であり、スサノオの総本山なのだった。私は蘇民将来の説話を思い出していた。
              人も知るように(知らないかもしれないが)、その説話は神様が旅をしている最中に、貧しい蘇民将来と富める巨旦将来の兄弟に宿を所望したところ、蘇民将来はそれなりに手厚くもてなしたが、巨旦将来は断った。その後、神さんが帰って来て、蘇民将来だけ疫病から免れたというものである。中東にも同じような説話があって、私はその類似性に注目している。それはゆくゆくこのブログでもキーポイントになるのだが、今は置こう。

              旅をしているのはどちらかといえば私だったが、困った人なら大事にしようという眼目は同じだ。神の使いかもしれないし・・・。そうでなくても、こうしたハンディキャッパーは、有難く異能(メッセンジャー機能)を持っていることが多い。

              さいが、我慢しきれなくなった。これでは寝られない。
              どうやら、老人はくちゃくちゃとなにか食べているようだった。安眠室は飲食もケータイも禁止の空間なのだった。年寄りが入れ歯をくちゃくちゃさせる現象は知っていたが、それとは違った。都コンブでも食っていやがるのか。
              (オノレ・・・)
              怒鳴り散らしてもいい場面だった。
              私は、フッと気を抜いて、その場から去った。私が去ればいいのだ。安眠できない生活など慣れている。

              まあ、こんな具合で本年もよろしくお願いします。ひょんなことですが、これが今年のテーマです。
              昨年中の「柚子にお願い」も冬至の出来事でしたが、本年もそうなります。
              今年はスサノオの謎に迫り、ユーチューブで番組発表することがテーマになります。
              よからあずがや。

              | スサノオ・テレビ | 17:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              謹賀新年☆
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                GMOがやっているロリポップを利用しているのだが、これまでは5つまでブログが立てられたからそのつもりでいたら、ひとつになっていた。
                2017年中のタイトル「柚子にお願い」は一旦区切って、2018年は「笑う蘇民将来」というテーマに移行しようと考えていたのだが、当てが外れた。例えばblog2といったアドレスには替えられない。
                仕方がない。アドレスを継続して、ブログ・タイトルを変える。

                職場近くの新宅と旧宅との二重生活になっている。
                ノートパソコンを買った。それでモバイルする。なかなかに忙しい。
                | 日記 | 18:36 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                2017年を振り返る   はてさて、人生また面白からざるや
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                  50過ぎて、ふとカイシャを辞めた。もう、やれないと、自分で分かったからだ。
                  ギョーカイの資格はいくつも持っており、それでなめていたフシもあるのだが、5社くらい面接落ちしてビビった。秋風と共に、人生終わるかな?という危惧を感じた。
                  色々あるが、究極的には、「自分がこの世に用のない人間なら、終わればよかろう」という考えを、私はサバサバと気楽に抱いていた。生命とは、ハナからそういう存在なのであって、無用の長生などは望んでもできないと。

                  なんの僥倖か、私は続いていて、ありがたや、こんなブログを書いている。
                  生きているのも当たり前ではない迷い犬が、境内でモチを拾ったような塩梅だ。よからあず、種田か尾崎かの仲間だらあ。

                  さてもさても、このブログ「柚子にお願い」とは、昨年の柚子湯に使ったその表皮に、オメコ紋がクッキリとあったことによる。
                  「ほほう」と私が色めき立ったことは言うまでもない。そのまま年頭本願のお願いの由に入れたからといって、どうで私の罪でもあるまいよ。あながちな。
                  結果を述べれば、旧年中は女の責め苦がすごく色々あった。やんぬるかなモノにはならなかったのだが。

                  本年の冬至に至って、「柚子にお願い」というブログ・タイトル自体が終わってしまった。
                  新年は、ひとつ新しくブログを立ち上げねばならない。
                  「笑うスサノオ」とでも名付けようかな。
                  指針があるわけではないのだか、これも今年の新年・冬至に起こった出来事からの引用である。
                  本当にそんなことがしたいのか? という密度はない。この時節にそのようなことが起こってしまったという方向付けでしかない。
                  新年の願掛けとか、ひとはするけれども、もしそうなら、その時節に起きた事象に引っ掛けてみるのも一案だろう。その方が、よりユング的ではある。

                  一体、このブログに読者はいるのだろうか? 3.、4人はいるかもしれない。ゼロでも気にせず書いていたので、進歩はしている。
                  私と違ってまともな人だろうから、メリー・クリスマスとか謹賀新年とか、いろいろお目出度いグリーティングスを書いておくことにする。
                  ありがとう。みなさまのおかげです。

                  下は、トム・ウェイツの「トム・トラバーツ・ブルース」のインスト演奏です。


                  | 日記 | 19:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  愛知県の神社(番組アイデア・スケッチ)
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                    引っ越しを機に、愛知県のシュラインをユーチューブで紹介するプロジェクトを思いついた。英語でやれば、世界配信の番組になる。小銭くらいは稼げるかもしれない。
                    問題は内容だ。ムービーなどやったことはないので、映像的には、そんなにいいものは撮れないだろう。そのマイナスを補う内容的魅力が必要になる。

                    人は、愛知県の神社といって、どれを思い浮かべるだろうか。まずは熱田神宮と豊川稲荷だろう。尾張一宮の真清田神社を指折る人はあまり多くないだろう。
                    個人的には、豊川稲荷は好きだが、熱田神宮には何の感慨もない。伊勢神宮と同じく、官製ハガキみたいなペラペラの存在感しか感じないのだ。

                    熱田には、ヤマトタケルの悲劇がある。一説に、熱田から身投げしたとも聞くが、定かでない。
                    ヤマトタケルは個人名ではないだろう。史実でもなく、神話に近い。

                    私の大まかな歴史イメージでは、神武以前の日本は、縄文的な緩やかな連邦制であったと解する。
                    神武東征以降は、畿内が戦略的要地となる。朝鮮半島から日本海側に渡る場合、歴史的には、航路の都合か到着地は若狭湾あたりになった傾向がある。
                    7世紀頃には、ヤマトに唐渡りの政権が樹立され、国威発揚のためミヤコ畿内から更に東征があったとすることも想像に難くない。東征といっても、補給もない旅団であったはずで、常識的に考えて、そんな軍勢が東国平定などできたわけはない。その上、ヤマトタケルは畿内に帰ることができず、伊吹越えに失敗して果てた。悲劇のヒーローというより、体のいい人払いに近い実態が想像できる。

                    縄文海進を常識として持っている人は少ない。当時は、海水位が高く、尾張東部では、熱田が半島となっていたとされる。例えば津島市には堤が残るが、織田信長の時代あたりまでは津島が海岸線だった証拠となる。信長時代の干拓は史実にあると思う。

                    この稿は記憶で書いているので、いざ番組にするとなれば校正が必要となる。傍証を当たらねばならない。

                    ここまでで興味ある神社は、津島神社と元熱田とされる氷上姉御姫神社が浮かび上がる。どちらにしろスサノオと縁がある。
                    スサノオの神紋は六角形で、津島神社の木製のお守りが六角柱となる。その上、それは蘇民将来のお守りであり、ますます朝鮮との関りが深くなる。スサノオは、人も知るように朝鮮半島経由の神だが、その先はメソポタミアのスサまで辿れるかもしれない産鉄民だ。
                    古代、鉄は金よりも高価な重要物資であり、産鉄民がアジア大陸を雄大に移動したことは想像に難くない。その史跡が尾張にあるのなら、番組として興味深いものになるだろう。

                    幸い、正月が近く、初詣の人々をビデオ撮影できるかもしれない。まず、ビデオカメラを入手する必要があるのだが、これも頭の痛い問題だ。中古で買うにしても、大まかに製品情報を存知せねばならないからね。
                    さあ、もうすぐ冬至。私には大切な年の変わり目となる。オレ、クリスマスとか正月は関係ないんで。
                    | 日記 | 06:08 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    12月も半ば
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                      職が決まって、やたらと忙しくなった。これは来年まで持ち越すか。引っ越しが入るからなあ。
                      50過ぎて仕事辞めて再就職。我ながらよくやってるよな、キリーロフ。

                      来年は、ビデオカメラを買って、シュライン(神社)をユーチューブで配信するつもりだ。
                      朗読はこれまでもやっていたが、それで私はカツレツが悪いのだと知った。こんなことも、やってみなければ分からない。
                      愛知県のシュラインをユーチューブで世界配信する。無論だが、たとえ英語配信するにせよ、バックグラウンドの知識は必要となる。そんな簡単なことじゃない。

                      あとは、小角(合)のプロジェクトだな。Tシャツに絵を描いたり、木彫をやるなどの手工芸で小銭を稼ぐ。
                      アイデアだけなら、いくらでもある。
                      無いのはカネと女だけ。それでも、生きていれば面白いじゃないの、キリーロフ。

                      できるだけ更新したいが、できないかもしれないので、今ここで年越しの挨拶を!
                      | 日記 | 17:04 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP