神経性疼痛は未だし続く

このブログ、スマホ・バージョンでは、人気トップ・テンというコーナーがあり、私も楽しみに見ています。算定の基準がわからないのですが、おそらくここ何ヶ月かのアクセス数ではないかと推測しています。

それで、「自然発生オーガズム」というタイトルが最近になってランク・インしているのです。恥ずかしいですね。誰かのいたずらなのでしょうか。なにもこんな記事がトップ・テン入りしなくても、と思うのです。
そのコラムでは、私の空想オナニーのやり方を赤裸々に書いているのです。本心では、神経性疼痛の治療効果が期待できるとして、まじめにやり方を書いていたわけですが、今となっては恥ずかしい。

左様、今を去ること一年前、私は神経性疼痛になりました。この時期には、小説「火を盗む者」の仕上げをしていて、精神に負担がかかっていたからでしょうか。
夏ごろには歩行困難になるほどに重症化していきます。

今は治りかけています。痛みや麻痺も以前ほどではない。
以前の記事にも書いたはずですが、クスリはやめました。QPコーワ・コンドロイザーですね。これは痛み止めのクスリです。効くのですが、副作用も感じたからです。

こうしたことでお悩みの貴兄なら聞いたこともあるでしょう、痛みの可塑性という概念があります。痛みは放っておくといや増していく性質があるので、それは痛み止めで予防しようという考え方があるわけです。そうしないと可塑性が増すので、結局よくないという考え方ですね。
そうはいっても、現に使う痛み止めに看過できない嫌らしさを感じた場合にはどうするのか?
私は自然治癒を選びました。
一体なにが正しいのかなんて、ずっと後にならなければわからないこともあります。今だってわからない。

懐かしいのは、あれから一年経ったかという感慨。それと、空想オナニーって、どうやるんだっけ?という残念さ。忘れてしまったのです。
さても、さても、一年の長さよ。

日記 | comments(0) | -

スマホ版「火を盗む者」 3.パリ20区のカラテ・マスター 弐

 腹が減っていた。私はケバブの店に入り、セット・メニューを注文した。顔の長い店主が一人、客は私一人だった。格子縞の安っぽいビニール製テーブル・クロス、白塗装で合板のカウンター、下町食堂といった風情だ。
 私の刺し子半纏が珍しかったのか、三十代の店主が人懐っこいのか、テーブルまで来て「あなた、どこから来たんだい」と訊かれた。
 「チャイナ」
 「チャイナ?」
 「イエス」
 「本当にチャイナか?」
 「イェー」
 私は、こんなときには中国人と言うことにしていた。日本人と答えるのはあまり得策ではない。簡単な中国語なら知っていた。向こうは雰囲気で大体何人か見当をつけるだろうが、それでもブラフくらいにはなると考えていた。
 実際、ある街で集団スリに出遭ったことがあった。一人の男がぶつかりそうになったのを皮切りに、女も含めて何人もが私めがけてふらふらと近づいて来て、接触できずに通り過ぎた。ローラー・ブレードの者も含めて、目まぐるしく10人弱と交錯しただろうか。話に聞いていたので、これかと思い周囲に警戒円を設定した。多少なら武術の心得があり、私はニヤニヤ笑いながらよけた。最後に後ろから来たが、それも気配を察知してよけた。それでも、人の多い広場に出てから、布製旅行鞄のジッパーを開けて財布を確認したものだった。
 つらつらと想い出を浮かべながら食事を済ませ、エスプレッソを飲んでいると、客が入り始めた。馴染み客だろうか、店主と色々話していたが、誰もオーダーはしなかった。フランス語の会話内容は、私にはわからなかった。
 しばらくすると老人が現れ、客らに伴われて私のテーブルに来た。老人は、カラテ・マスターだというふれ込みだった。私の向こう正面に座り、何も話さず、終始にこにこしていた。自分に絶対の自信を持っていなければできない態度だと思った。キッパと呼ばれる頭に張り付けるような小さい帽子を被っていた。八十歳くらいだろうか。東洋人の私なら、カラテで話しができるとコーディネイトされたのかもしれない。顔に刻まれた皺がいい感じだった。私はごそごそと記念の品をデイバッグから取り出した。とある事情で、私は天皇行幸警備のバッジを幾つか持っていて、お土産用にユーゴスラビア軍払い下げのデイパッグに忍ばせていた。ジェスチャーで、あげるよと言った。
 「これは、なんだい?」
 バッジの菊花紋を指して、店主が尋ねた。チャイニーズだと言ったてまえ、あまり答えたくなかったが、何度も問うので根負けした。
 「日本のシンボルだ。ジャパニーズ・エンペラーのシンボルでもある」
 「日本? あなたは日本人なのかい?」
 「そうだ。その周りにあるのは桜だ。それも日本のシンボルのひとつだ」
 苦し紛れに私は余計なことまで喋っていた。そして、片眉を浮かせ、やっぱりねと言わんばかりの店主を眺めなければならなかった。彼らは、メタル・バッジを興味深げに眺めた。
 「見ての通りの老人だ。なにもお返しするものはないが・・・」店主は言った。
 「かまわない。取っておいてくれ」
 すると店主は、老人に身分証明書のようなものを出させ、私に見せた。
 「よく読んでくれよ。この人は本当にカラテ・マスターなんだ」
 確かにその書類には、太字でカラテ・マスターと書いてあったが、そのほかの文は読めなかった。書類は軍関係のものと察しられた。恐らくは軍で空手の教官でもしていたのだろう。老人も周りの客も、嬉しそうだった。店主が老人のジャケットにバッジをつけてやっていた。こうしたときにはテレてしまい、一緒に嬉しがれない。苦虫を噛み潰したような貌をして、私は店を出た。日本人の古風など、世界中で理解されまい。
 (良かったな、じいさん。あんたが嬉しけりゃ、おれも嬉しいぜ)
 私はふらふらと道を歩きながら、そんな風に思った。語ることのない過去であっても、語ることが出来るようになった過去でも、人は何がしか持ち運んでいる。それにしても、くだんの老人の眉も、ロマのように眉間がつながっていた。

スマホ版「火を盗む者」 | comments(0) | -

頭は帽子の台じゃねえ

さて、「お婆の昔語り」コーナーです。
昔、自営業だったために、母と一緒に仕事をすることがありました。そんなときに、彼女が良いアイデアを思いつくことが偶さかあって、私が感嘆すると、しれっと表題の諺を使ったのでした。
「頭は帽子の台じゃねえ」
「えっ?」
すぐには意味のわからない諺です。
ネットで調べてみると、「君の頭は帽子の台か」というバージョンがあり、元々はそちらがオリジナルかとも思います。モダンが流行った大正時代の小説にでも使われた雰囲気があります。

仕事シリーズでいきますと、「立っとる者は親でも使え」もありました。
人にモノを言いつけるのに、「立っとる者は親でも使え、てってな」と使います。「てってな」というのは、「と言ってな」の意味ですが、決して自分が言うのではない、諺だよと言責を転嫁する効果があります。

もうひとつ、仕事の諺。
「寝るほど楽がこの世にあるか、起きて働くバカがいる」
てのも記憶にあります。
母がお手伝いさんに教わったとかで、私に伝わりました。これがネットで調べてみると江戸時代の狂歌が元になっているというので、市井の人の文化の高さを思い知ったのでした。
確か、反対歌があって、正確ではないですが、こんな風でした。
「仕事ほど面白いことがこの世にあるか、ふてて寝ているバカがいる、てってな」
お後がよろしいようで。

お婆の昔語り | comments(0) | -

嫁は通るうちに見よ

さて、このコーナー「お婆の昔語り」ですが、やめようと思っていました。理由は、地元に伝わった諺だと思っていたのに、ネットで調べてみると意外に一般的だったからでした。少なからぬショックを受けました。でも、まあ、曾祖母が師範学校に通っていたことを考え合わせれば、むべならぬことでありましょう。

で、予想はしましたが、このコーナー、アクセスが多い。
ブログの話題なんてアクセス次第といった面があります。諺(ことわざ)が語られた場面、情景だって昭和の昔ですから、懐かしんで読んでもらえるかもしれないとも思います。

昭和時代って、ある意味では最後の時代でした。まだね、地元には若衆宿などもあったのです。それは黒潮文化の名残りで、薩摩では郷中制度と呼ばれ、なんたることか、それがイギリスに移入されてボーイスカウトになったとされる風習です。
男だけが集う宿舎なら、太平洋地域とか、南アジアにはまだ存続するのかもしれません。元々発祥はそちらなので。
趣味で民俗を追いかけている私にも、これは興味深い問題です。なんたって、その民族潮流が神武勢力だったわけですから。

前置きが長くなりました。
表題の「嫁は通るうちに見よ」は、ネットでは引っかかりませんでしたが、いずれ何かの引用でしょう。
それで、昭和中期には、まだ花嫁行列というものがありました。あなたは、懐かしいですか? それとも、知らない?
その時代には、花嫁は生家から出発し、近所中に祝福され、歩いて嫁ぎ先に向かったのです。
それを見に行くとお菓子がもらえたんですね。餅まきと同じような感覚です。
ところが、ある時、少し遅れていった私は、お菓子をもらえなかった思い出があります。
「嫁は通るうちに見よ、てってな」
と母に言われました。
それが悔しかったのか、それ以降は、花嫁行列を見に行かなくなった記憶があります。
諺というのは、キラー・フレーズであって、普通の言葉より何倍も力のある言葉です。
「行かんのか?」
「まあ、ええわ」
と、お菓子も欲しい少年が答えるほどには。

お婆の昔語り | comments(0) | -

スマホ版「火を盗む者」 章外

この小説のテーマは、呪術・魔法、精神病、あとはそれにまつわる書籍の紹介です。

私は若いときから、呪術・魔法といった事柄に興味を持っていました。それで世界が変わると信じていたのです。カスタネダやら、懐かしいですね。時代性でしょうか、今は、なかなかそんな願望を持つひとは少ないでしょう。
若い頃には、瞑想、ヨガ、気功など、いろいろやってはみたものの、何も実を結びませんでした。才能がなかったのです。

ところが、人生の蹉跌というやつで、(人生往々にして四十頃に心の破けるようなことを経験したりしますが)、頭がおかしくなっていた時期があります。その時には、残酷なほど世界は変わってしまいました。統合失調症の治癒率は3割ほどだといいますので、恐ろしい虎口を抜けたといえるでしょう。
体験からいえば、その時の脳の状態は、ドラッグをやったときとか、あるいは宗教的至高体験のときと同じようだと思います。その時放出される脳内快感物質はドラッグのような模造品ではなく純正なので、麻薬などは凌駕するでしょう。
それで図らずも天候操作ができるようになったのですが、特別な感じがしたのは最初だけです。できてしまえば、普通のことなんですね。我ながら、もう少しなんとかならないものかと思いますが・・・。

この文は、この小説はこれから苦しい内容になりますよという前触れです。私も書いていて苦しいですからね。ただの旅行記だと思っている方は、ここで読むのをやめることをオススメします。

スマホ版「火を盗む者」 | comments(0) | -

スマホ版「火を盗む者」 3.パリ20区のカラテ・マスター 壱

 パリではメトロを使ってどこへでも行った。まだバスの乗り方は知らなかった。パリの東端である20区をさ迷った。ミシュランの地図を見ても、どこを歩いているのかさえわからなくなっていた。丁度、市内と郊外の境目あたりで、裏通りや住宅街が混在していた。
 疲れ果ててバス停付近で座っていると、ふらりと短髪の青年が現れた。何かイラついていて、決してフレンドリーな雰囲気ではなかったが、かといって歩き去りもしなかった。バスが来ても、乗っていこうという気配もない。気まずかったので、手巻きタバコを勧めた。ひとつには、ひとがどうやって吸うか見てみたかった。格好のいいやり方なら真似したい。青年は、紙パックから刻みタバコを山のようにつまみ出すと、非常に苦労しながら巻いた。四角形のタバコ・ペーパーは、そんなに大きくはない。
 (欲張り過ぎだ。誰でも最初は加減がわからないものだが、さては手巻きタバコは初めてか・・・) 苦笑いするしかなかった。それで気が解けて、
 「ここは、どこだい?」
 と尋ねることができた。現在地がわからないと、地図でメトロの駅に辿り着けない。
 「えっ? なんだって?」
 「このあたりの地名は、なんだい?」
 「わかんねえよ」
 驚いた。みすぼらしい格好で、旅行者には見えなかった。それで、この男は移住して間もなくて、私同様地理に暗いのかもしれないと考えた。私とて観光先の京都で道を尋ねられたことがある。パリの市街地図を見せても、どこなのか見当もつかないといった風だった。
 「おれブルガリアから来たんだよ」
 青年は言った。まるでロマ(ジプシー)のように眉がつながっていた。今ではロマとかティガンとか呼ばれるが、以前はジプシーとされた人たちの分布は欧州に広い。
 彼は人の一群が通りかかると、まるで食ってかかるように、ここはどこなのか尋ねてくれた。「この人にタバコをもらったんだ」とも言っていた。他人事のように一場を眺めながら、タバコの効果は意外に大きいものだなと思った。だが、ここはどこ?というのも奇妙な質問だ。結局要領を得ないまま、青年は私に詫びを言った。私がいると大抵は場が英語になったが、あるいはそのグループには英語が通用しなかったのかもしれない。
 ここが一体どこなのか、私にはわからない。自分が全体何者なのか、私にはわからない。旅行鞄の中には菊花紋の赤いパスポートが入っていたが、その写真が誰なのか忘れた。ひどい幻覚があって、テレビやラジオがこぞって自分に語りかけているように感じた。このままでは気が狂うと思い、言葉のわからない国に行こうと思った。なまじっか分かる英語圏を除外すると、欧州に決まった。気が狂う? ─── 狂っていないつもりなのか ─── 二つ条件があった。少なくとも犯罪を犯さないこと。コギトが降参し、意識の窓口係りを降りてしまわないこと。
 (おまえが代わりにこの中年男をやってくれよ)
 私はよくネズミに言ったものだった。返事は決してなかったが。

 Say anarchy, say Geronimo! そんな励ましの合言葉がお気に入りだった。アントナン・アルトーは、片手に靴を持ったまま、精神病院のベッドの脇で死んでいたという。そして詩とは、それが本物ならば血に値すると、アルトーは「ヘリオガバルス または戴冠せるアナーキスト」で書いた。自らの血をもって詩を書く者、使命を果たそうとする者が歴史上にいて、その脈流なら中国唐代に李賀がいる。

 ─── 恨血千年土中碧 (恨みの血は土の中で千年を経て碧玉に変わる)

 罪無く刑死した者の血が土中に染み込み、三年後に碧玉に変わったという故事に因む句だ。さすがに李賀は、千年後と脚色している。血の赤い液体が凝固して黒に変色するのは親しく見るが、それが土中で緑の石に結晶するという想像力は、黒髪を緑色と見る中国人ならではのものかもしれない。
 李賀は唐代にあって憂国の士だったが、二十世紀のアルトーは西洋文明を憂えていた。ジェロニモは二十世紀初頭まで生きたが、アルトーはその少しあとメキシコに渡って呪術の修行をした。そうした者たちへの遥かな憧れが、私にはあるのかもしれない。

スマホ版「火を盗む者」 | comments(0) | -

車で聴くポール・マッカートニー

実家に帰るのに一時間半かかるんです。
その間にカーステレオで聴くのは、ポール・マッカートニーが比較的最近に出した四枚組みのアルバム「ピュア」です。
ベスト集なのですが、ベスト・ヒットに含まれない佳曲も沢山はいっているというやつですな。
「ドライブとかさ、ちょっと長い時間に聴いてよ」
という編集方針で、ポール自身も選曲に参加しているとのこと。



このアルバム、例えばディア・ボーイとか、元ビートルズだったマッカートニーとしてしか知らないような層には、隠れた名曲がいっぱい入っています。
どうも、2枚組みのバージョンもあるようで、私が買ったのは四枚組み中国製のもので、もう少し安かった気がします。

この手の作品集では、往年に「ザ・ファイアーマン」というのを匿名で出していました。
ポール自身は運転もするし、その時に自身で聴くためのものとして作ったというプライベートな成り立ちです。



買った当時、いわゆるマッカートニー・サウンドを期待していたので、クソみたいなアルバム出しやがってという感想だったのですが、ドライブの暇つぶし用としてみると、悪くない。当時のアシッドなサウンドなんです。
ま、ディープなマッカートニー・ファン用といえましょう。
あるいは、BGMにメロディなんていらねえという趣味の方なら、イケルかも。




さてと、ユーチューブからディア・ボーイを引っ張ってみました。
上の少年は、アジア系に見えますが、悲しげなボーイ・ソプラノが曲想にマッチしていたので取りました。カバーとしては面白いバージョンになっていると思います。

音楽 | comments(0) | -

蜘蛛にまつわる話

「夜の蜘蛛は親と見ても殺せ、朝の蜘蛛は枡もって受けよ」
これ、母に教えてもらったもので、田舎の民話に近い諺だと思っていたのですが、ネットで調べてみると、入試問題に出るほど一般的なようです。
曾祖母は、古い人ながら師範代であったらしく、そんな知識の流入なのかもしれません。
一見、吉凶を占う諺に見えますが、理由が全く不明なので、子供の頃から不可思議なことと記憶されてきました。

不勉強ながら、ようようこの頃になって思うのは、古事記に出てくるツチグモとの関連です。
八世紀頃のまつろわぬ敵として、ツチグモやクズが挙げられるのですが、クズは葛城地方の一言主の勢力でしょうか。一方、ツチグモは今で言うサンカのことと推察するようになりました。

人も知るように、サンカは穴居生活をしていたといわれます。山の洞か、縦穴式住居か、八世紀頃なら恐らく前者でしょう。
別に、この人たちは当時の中央権力に滅ぼされ、だからといって従わなかっただけの人たちなのですが、それが元で賎民あつかいを受けたでしょう。インドのカースト制を持ち出すまでもなく、それが歴史の常です。
蔑称も時代とともに変化し、八つと呼ばれるようになったのもサンカではないかと私は考えています。なぜなら、八つ足の生き物として思い浮かぶのは、クモですから。

さて、こんな話もあります。そのまつろわぬ人々とも、常民がひょっと出会うことがあった。それが朝なら彼らはニコニコしているが、夜になると豹変するかも知れないから気をつけろというのです。つまり、表立っては襲ったりしないということが知られていたのでしょう。
上出の諺も、そんな空気が説明するまでもないほどあった時代の名残りなのかと、今では考えています。

お婆の昔語り | comments(0) | -

お婆の昔語り

故郷を離れ、また年齢も手伝ってか、心を昔話が去来することがあります。
それは、母が
「(自分の)お婆さんが知恵のある人だった」
と言い、折にふれて私に語り聞かせてくれたものです。
これからお話しするのは、正確には、私の曾祖母だったり、または祖母の話だったりするのですが、「お婆さんたちの知識」としてまとめてしまってもいいように思います。
「お婆の昔語り」と名づけてみましょう。

教科書に載る歴史が、「男達の」「公式な」と形容されるようなものであるならば、お婆さんの知識はそれとは逆に、母系的な文化史といえるでしょう。
でもね、それはそれで連綿と伝わってきたことなのです。けれども、そうした事柄も、こうしたコンクリートとアスファルトの時代には、いずれ里山に埋もれていってしまうのでしょうね。

これらは、愛知県に伝わった伝承です。特に収集したというわけではありません。ただ、そこにあったものとして伝わってきただけのお話です。
そういえば、祖母が狐狸にばかされた話を聞いたことがあります。
絵本とか、テレビの昔話で見るだけの伝説が、そんな身近なところで起きていたことには驚いたものでした。祖母が子供の頃の話ですから、大正時代でしょう。宮本常一が民俗話を蒐集していた頃のことでもありましょう。

それは祖母が子供の頃、お使いで隣の集落に行った時の話です。
まあ、5,6キロは離れた場所だったので、子供の足で帰る頃には、日が暮れてしまったのでした。
峠を越えて池を過ぎたあたりで、突然、目の前の道が消えてしまったというのです。おクニさんは、仕方もなく脇の山に入っていきました。どこをどう歩いたか、散々迷ってしまったそうです。
結局、捜索隊でも出たのか、帰り着くことはできたのですが、それは狐に抓まれた話として記憶されたのでした。現代風にいえば、ある種の幻覚でしたでしょう。

この話を聞いたのは、母と車でその場所を通った夜のことでした。
「ここは気味の悪いとこだな」
その峠道は、両脇が岩清水に濡れて、夜はそぞろ恐ろしいところに見えるのです。
「そうだな。あそこの池で何人も自殺したてうな」
と嚇すように母が返します。いささか話しがそれますが、愛知県の一方言では「と言う」を「てう」と言います。百人一首の句、衣干すてふ天の香具山、の「てふ」は一般に「ちょう」と読みますが、ここらでは、仮名のまま「てう」なんですよ。話を戻して、
私は「なんでぇ?」と訊き返しました。
「色々とな。死なんならんワケはあるもんだて」
今の時代では、入水自殺なんて、あまり流行りませんでしょう。余程の覚悟がなければ、人間死ぬときには、なんとかもがいてしまうもので、もっと楽で確実なやり方ができてきています。昔は、そうではなかったのでしょう。
(ここが恐ろしいってのは、自縛霊でもいるのかい?)と頭を過ぎります。
「そういやあなあ」(そういえばな)
と車中で、そんな祖母の狐狸話を話してくれたのでした。
夜には大人が車で通っても怖い場所ですから、子供が徒歩でとなると、猶更となりましょうね。私にはその狐狸話、あまり不思議な事とも思われません。

私が物心ついた現代では、狐狸にばかされたなんて話は、とんと聞きません。道は夜でも明るい。だからって、街路灯がないと、田舎の山道などは真っ暗で、月がなければ自分の足元さえ見えなくなりますがね。
今は狐は消えお稲荷さんにいるだけですし、狸はアスファルトの舗装道路で交通事故にあって死んでいるだけのものになりました。
ってな。

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気候士

テレビで、インドネシアの晴れ乞い士であるパワン・フジャン(職名)のことが取り上げられていた。他方で、このような能力は雨乞いなどといったりするから、ここは面倒なので気候士といっておこう。天候を操作できる者は地上にあまた存在する。別に、私だってその一人だ。そのことは小説で書いている。
実際、それができるようになると、なぜこんな事が可能なのか、その理屈を考えたくなるものだ。その試みを小説化しているのだが、うまくいったとも思えない。まあ、がんばってます、って事で勘弁していただきたい。
一応、科学的には、電磁的な天候操作は既に成されている。そこで問題になるのは、人間はそれ程に強力な電磁力は持たないという通説だ。
しかし例えば、ヨギで手によって板を焼いてしまうほどの人がいたが、例外はあるよというしかない。恐らくスプーン曲げだって、電磁力を使用していると私は考える。なんらかの力学がなければ、金属が曲がるわけもない。まさかスプーン曲げ程度に、霊力なんて言葉は使いたくない。その点、いまだ科学的証明がなされていないだけなのではないか。

さて、件のパワン・フジャンであるキサプジャガット氏だが、東南アジアの雨季の最中に晴れ間を作った。天気予報は100パーセントの雨予報だったが、そんなこと関係ないんだね。経験的に言ってしまえば、天気予報と逆のことができるからこそ、気候士は自信を持つことができていくわけで。
ついでに言えば、法術は関係ない。例えばインディアンのローリング・サンダーは、その地方のやり方でやればよいといっていた。術は確信を深めるための術策に過ぎないわけで、逆に言えば、術策を完璧にできたからといって、能がなければ成就しないわけだ。
通りすがりに言えば、JKローリングのハリーポッター・シリーズを噴飯ものだと感じたのは、術を学べば魔法が使えるという有りもしない嘘話だったからだ。ある意味では、それが今日科学的といわれることなのだが、それが今の科学の限界とも思う。いかいこれまでの科学の成功は、「能」のあるものが「術」を使ってきたのであって、その逆ではない。

天候操作ができるのは、有名人でも多い。角川春樹とか岡本太郎とか、もろもろ。無名人なら、なおさら多いだろう。
こうした呪術師が、昔ならインディアンと同様にネットワークを作っていたと考える。日本では、平田篤胤の仙境異聞からも窺い知れる。
面白いのは、これがアナーキーなネットワークだということだ。時の政庁とは関係なく動くんだね。さて、なんのために? 地球の息吹のためさ。
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