笑う蘇民将来

世の中の不思議
【夢日記】アレッて何よ?!
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     まれに、映画のようにスペクタクルな夢を見ることがあります。占うことさえできないような長さで。

     僕は巨大な宇宙船のようなものに乗り組んでいました。どうやらゲストのようなのでした。潜水艦のような小部屋で、格好のいいドイツの軍帽を幾つか見せられ、(これいいな、買おうかな)などと思ったりしていました。
     それから、大広間のような部屋に行くと、指導者やら女の子やらがいました。
     「もうすぐ基地に着く。基地もな、育ててだんだん大きくしていかなくちゃならないんだ。あそこも最初は小さなものだったんだよ」
     まあ、仮に柘植大佐とでも命名しておきましょう。大佐がそう言いました。
     時に、飛行中の船の窓から、禍々しく暗い空が光るのが見えました。
     「あれが起きたのかな」
     女の子が不安そうに言いました。
     (アレッて何よ)
     と僕は思ったのですが、知っていなければならないような事の気がして、訊けませんでした。
     基地に着く前に、「絶対寒いから」と可愛い女の子二人がふわふわのセーターを着込んで準備しました。それに反して大佐は、「そんな格好だと暑いよ」と笑います。
     地上に着陸して、スペース・シップの大きなハッチが開くと、土埃りをともなう熱風が吹き込んできて、女の子たちはTシャツになりました。外は乾いた土、周囲に土嚢が巡らせてあり、そこで人が死んでいたりします。それを片付けている民兵のような人たち。
     「彼らは、事情を知っているんだろうな」
     「多分・・・」
     大佐と女の子の会話。僕だけが事情を知らない。
     (えーっと、何が起こったんだっけ?)

     私は、夢の内容よりは、セリフとそのシチュエーションといったワンシーンに重点を置いて占います。ネットで検索すると、ありとあらゆる夢の象意が、まるで定式化されたように出てきますが、そういうのはどうもなあ。占いって、ヒラメキだと思うのです。
     夢日記は、将来のために書いていきます。いつか、(これ夢で見たな)と思えることがあれば、面白いかな。

    | 夢日記 | 00:14 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
    一人暮らしにて
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       一人暮らしも三ヶ月目に入りました。問題はメシです。
       自炊で、幸い料理は得意なので、借家では専ら鶏胸肉とたまねぎを基本とした鍋を作っています。二人用の土鍋で、鶏ムネ一枚で三食分くらいになりますか。
       鶏胸肉は栄養豊富で安いのですが、味はモモに較べて薄いので、下味つけは欠かせませんね。必ず塩を馴染ませ、さらに焼きます。鍋にするにしても、焼きの香ばしさが残るからです。
       それを基本とし、汁は塩味、味噌、醤油などバリエーションをだします。

       今日はカレー味だから、鶏ムネに岩塩、コリアンダー、ターメリック、ガラムマサラ、黒胡椒など振りました。今はそれを焼きつつ、土鍋には水と、ニンニク一欠けを丸のまま入れて煮ています。ニンニクは本来みじん切りにしたいところですが、最初に全部食べたいので仕方がないですね。今日は休みですが、出勤前に食べる回にニンニク片が残っていることは避けたいのです。

       余談ですが、酒好きのあなたには、ニンニクかタマネギ料理をオススメします。これにより、アルコール分解が堅実になります。加齢により人間酒には弱くなるものですが、体ではなく脳に残ってしまう現象が起こるようになると、体調によっては一旦醒めてもぶり返し、それが一日中続くという悲劇も起こるようになります。
       私は幾多の失敗を経て、これなら残らないという定量に基づいて飲酒していますが、体調いかんによっては脳に残ってしまうことがあり、これが長いこと排出され続けるという不幸に見舞われるようになりました。
       憶測するに、アルコールは脳幹をすり抜けて脳内でアセトアルデヒドという毒に変化し、これが酔いをもたらすわけですが、何かのスイッチが働くと脳幹がアセトアルデヒドの通行を遮断してしまうのではないか。よって、呼気アルコール濃度がなかなか下がらないという現象が起きるのではないか、と考えるようになりました。
       ところが、ニンニク・タマネギ系は、こうした現象を無くしてくれるということを、経験により知りました。毒素分解が活発になるのでしょうね。もちろん、飲み過ぎてはダメですが、体調による予期できない不慮の事故はなくなりました。

       余談が長くりましたが、問題というのは弁当です。わっぱに詰めたご飯とファミコロ80円ばかりでしたが、なんとかバリエーションをと考えています。
       魚肉ハンバーグまたはソーセージが、腐らないので今日10個ほど買いました。肉が腐らないということに違和感もありますが、コロッケばかりというわけにもまいりますまい。

      | 日記 | 23:13 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
      【夢日記】火事になるで!
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         今年から始めた夢日記です。当たってるのか当たらないのか、本人もよくわかっていません。けれども、生活に一枚クリエイティブな要素が加わったように感じます。

         昨夜は火事の夢を見ました。覚えているのは、
         「こんなことしとると火事になるでぇ」
         という声。
         それから部屋で火が出て、手じかにあった帽子ではたき消そうとしていると、帽子が燃えてくる始末。
         (マズイ)
         と思ったところで目が覚めた。
         その夜は他にもダウナー系の夢ばかり。
         (こんな不安定な生活では、それも致し方なしか・・・)
         じっと手を見て放心。

         翌日、
         (まあ、何もなかったな)
         火事の夢など当たってもらっても困るわけですが、当たらなけりゃ夢占いも終了。
         ところが、風呂を沸かそうとしても、ガスがつかない。種火をつけっ放しにして忘れていたので、安全装置が働いたようだった。
         (これか)
         風呂の種火を消し忘れたところで、火事にはならないと思いますが、ガス代の浪費であり、安全面でも悪いこと。まあ、禍々しい夢が、こんな程度の顛末でよかったと、一安心の一幕でした。

        | 夢日記 | 14:29 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
        神武東征は史実か
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           梅原猛の「葬られた王朝」を読了した。これが書かれることになったのは、クロード・レヴィ=ストロースの1988年の来日講演で、「日向神話はあるいは史実を反映しているのではないか」と問題提起されたことによるという。そして、出雲地方における考古学的発掘成果(銅剣、銅鐸等)に鑑み、それまでの自説「神々の流竄」を梅原は間違いと認め、出雲王朝があったとする新説?を提出した。
           私は、神武東征は史実であろうと勝手に思っていたので、むしろ「葬られた王朝」が描写する学会の旧態依然とした「通説」に驚いたクチだった。もちろん、記紀神話が虚妄とされる一方で、皇室の出自に関わる事柄を云々することはたとえ学者であっても犯罪に当たらないかという二律背反的な昭和当時の風潮は知ってはいたが、平成22年に至っても梅原が新説として出雲王朝を提起しなければならなかったほどとは思わなかった。



           私が趣味でやろうとしている「スサノオ・テレビ」は、産鉄民族としてのスサノオが出雲王朝と習合したくだりは切っても切れないことであり、読んでよかったと思う。スサノオ・テレビ製作の切っ掛けは、私が津島市界隈に引っ越してきたからという場当たり的なものだが、アイデア自体は旧来から温めていた事であり、できることなら妄説批判は避けたかった。
           また、レヴィ=ストロースのような学者が、日本神話に興味を持っていたことは、海外からの日本古代史に関する興味の深さを思わせる。今に至っては、その世界的な広がりも期待できるかと思う。
           それにしても、ジャック・デリダも道元に興味を持っていたとされ、フランス学派の日本文化に対する視野は深いものがある。それは、取りも直さず仏教を世界哲学史に含めようとする興味であり、ある種の純化されたモノが東の果てに来着したという視線でもあろう。
           よって、フランス思想界が成し得なかったことを引き継ぐ素地が、この日本にはあるという予感があり、出でよ思想のスーパースターといったところだ。私など塵芥に過ぎないが、そんな者にも外野でやるべきことがあるのなら、やらなければならないだろう。正直、自信はないのではあるが。
           ついでだが、神武東征はスサノオ来日とは時代が違い、直接には関連しない。けれども、スサノオ・ネットワークが東に向かった事跡があるとするなら(私にはそうとしか思えない)、それが因子となったかもしれない。イズモから去った者、スサノオとスクナヒコナは同似している。

          | スサノオ・テレビ | 11:55 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
          スサノオ・テレビとは?
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             スサノオ・テレビとは、スサノオは紀元前にメソポタミアの都市スサから遠路はるばるやって来たとする荒唐無稽な歴史ロマンを、ユーチューブで発表しようとするものです。このお話自体は私の創作ではなく、裏日本史マニアならご存知の方もあるでしょう。
             スサノオ信仰の総本山とされる津島神社を背景に、英語でナレーションし、国内向けに日本語字幕もおつけしますが、ターゲットは日本に興味を持つ外国人となります。ですから、傍証がなければなりませんが、日本でも有数の神社数を誇るスサノオは、実は朝鮮半島から来たと日本書紀にあるそうなんですね。マジメな外国人がネットで検索したとして、頑張ればそこまでたどり着けるでしょう。あからさまに歴史書に反する内容というわけでもないので、ウソだと突っ込まれなければそれでいいのです。

             さしてマジメでもない興味本位の外国人の方がメイン・ターゲットですから、テレビ・ショッピングさながらにお付けするネタは各種取り揃えねばなりません。
             1.正倉院にはアラビア渡来のカット・グラスが・・・。
             2.祇園祭りのヤマ(山車)はペルシャ絨毯で飾られていた。
             3.菊花紋はペルシャ・インド由来である。
             とまあ、近東のエキゾチズムに輪をかけて遥か日本で展開した文化・・・というネ。
             菊花紋といえば、そんな昔にゃ菊の花なんてなかったわけで、あれは太陽に16方位をつけて形象化したものだとする説があります。だとすれば、物証的にはインドくらいまでの移動は辿ってもよさそうですが、途中の長すぎる経路は不明です。おそらく海伝いであったろうという推測はしています。なぜなら、海岸線なら砂鉄が取れますからね。

             一応、私がなんとなく下敷きにしているバック・ストーリーに富氏の伝承があります。裏日本史マニアならご存知の、スサノオは鉄資源を狙ってコシから上陸し、出雲に入って定着・習合し、幾世代かの後、去ったというハナシです。折角征服したのに、このね、どこへとも知れず去ったというお話に、謎とロマンを感じるのです、私は。
             巷間、ヤマタノオロチ伝説で最も重要なのは、スサノオがオロチから天叢雲の剣を得たことだといわれます。要するに産鉄のハナシなんですね。なぜ鉄がそんなに大事だったかといえば、近東では金の5倍の価値を持っていた程のマテリアルだったからです。それだけに領国経営より魅力があったともいえます。

             色々調べていると、ヤマトタケルは前世がスサノオだったというハナシもあって、やはり草薙の剣にゆかりのある氷上姉子神社も面白いものと思うようになりました。結局、スサノオは出雲を去った後、尾州に移動したと考えられる。その後は関東から東北へというルートを辿っただろうと思います。それがヤマトタケル伝説として残っているのではないか。が、それはスサノオ・テレビには入らない。微に入りすぎている。津島まで来たんだよというところで終わらないと。
             それにしても、なぜそれほどまでに移動しなければならなかったかといえば、木でしょうね。砂鉄はどこにでもあるけど、産鉄になくてはならない木は、あたり一円を伐採すると復元までに期間がいります。それに、金属マテリアルを取引する商業ネットワークも開発するにこしたことはない。多分、出雲から去ったといっても、ネットワークはつながっていたのではないかと考えています。
            | スサノオ・テレビ | 13:19 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
            自作小説がつまらなかった
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               久しぶりに自作の小説をスマホで読んだ。去年の7月に書き上げてから、見るのも嫌だった。悪いことに、全くつまらなかった。文章が頭に入って来ないし、何より言いたいことがわからない。
               (まずいな)
               自分くらいは面白いと思えなければ、救われない。

               つらつら考えてみると、スマホという媒体では普通の小説は読めないだろう。ラノベというジャンルができたのもむべなるかなで、画面が小さい分、一文改行くらいしないと、文を味わうことができない。段落など視野に入りきらないから、見渡しが効かないのだ。文を積み上げていく小説ではなく、俳句や短歌のほうが向いている媒体ではある。

               とはいえ、確かに私の小説は面白くない部分があった。また、推敲し始めよう。
              | 日記 | 16:06 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
              夢の用途
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                 夢占いなど信じてはいなかったし、巷間見る夢日記もアウトだった。ところが、吉本隆明が、覚えているような夢なら気にしていいんじゃないかと言っていたのにつけ、気にするようになったのだった。吉本はユングもかなり読み込んでいるね。


                 人の夢など聞きたくもないだろうが、こんな夢を見た。数行我慢頂きたい。
                 何かの会合へ行く。
                 バイクで行くのだが、バイクの調子が悪い。
                 着くと、クルマやバイクで来てはいけないと言われた。
                 それなら、一度帰って歩いて来ようと考えた。
                 それにしても、そんなことなら、こんな会合など出なくてもいいかと思われた。
                 そこで目が覚めた。

                 一体、麻薬にしたって、用途が問題になるのである。むかしラリパッパという形容があったが、そんな状態になるためにクスリを使っても、そうにしかならない。ペヨーテであれ何であれ、呪術目的で使うからその威力を発揮する。麻薬をラリるために使うのは間違っている。
                 夢も同じだと気づいた。夢などは好んでいなかったが、これを用いる気にさえなれば、面白いのだよ。案外あたることに驚いている。

                 その日、会社が私の職場でハロワ人員募集をかけているのを見た。
                 (何の連絡もないが、おれってクビか?)
                 笑って頂いてもかまわないが、こんな文章にも私の人生がかかっている。



                | - | 16:17 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                氷上姉子神社へ行った
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                   忙しくてブログもなかなか更新できないが、先日氷上姉子神社に行った。昔はもっと散歩している人がいた記憶があるが、その日は人出はあまりなかった。
                   碑文によると、その昔、草薙の剣が安置されていたから元熱田というようだ。スサノオ・テレビのテーマとはあまり関連性がないかなと思う。この神社は、ビデオ・プログラムから外そうと思う。
                   ついでながら、「信長攻路」のようで、モニュメントがあった。


                  | - | 16:06 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                  西部邁の訃報に思う
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                     思想家の西部邁が亡くなった。入水自殺という。通報者である息子の世話になるつもりはなかったものらしい。死ぬ間際まで雑誌の取材に応じたが、神経痛でウィスキーのグラスさえ片手では持てなかったという。当然、痛みもあっただろう。私も疼痛持ちであり、若かったころにはなかった痛みの問題を考えるこの頃だ。
                     充分考えた末のことのようであり、それなら思想家としての社会的影響も計算に入っていたはずだ。江藤淳の時には違和感もあったが、自殺が罪悪感と切り離され、死の選択肢として有り得るものになった感がある。こんな時代だ。そのことには有難い感じすらある。

                     今朝方、水難事故の夢をいくつも見た。最後のものは、水面から手が伸びていたが、こちらが手を差し伸べても救うことはできなかった。訃報が胸に応えたのだろうか。
                     本日、大雪の日本である。夢は個人的であると同時に、社会への窓でもある。己の凶兆と社会的な予兆の両面で考えた。結果的には個人的な災厄はなかった。
                     日本列島で考えると、おかしな噴火や地震など関連性のある予兆にも感じられる。すこしく視野を拡げると、フィリピンの噴火が気にかかる。地域的にその辺りまでは、つながっているのではないか。
                     米国の戦争も気がかりだ。凶事(まがごと)の時代に突入していくのだろうか、今年。

                    | 日記 | 19:27 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
                    幸せと生きがいは違う?
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                       TEDで、幸せと生きがいは違うという講義がありました。それで、生きていく上で必要なのは、生きがいの方なんだそうで。
                       幸せといってわかりやすいのは、至極うまいものを飲食した時に感じる無条件幸福のような、思わず笑みがこぼれる状態でしょう。しかしそれは幸せの上澄みのようなもので、本質的には「この生が続くという感覚」のことではないでしょうかね。別に何もいいことはなくたって、それがあれば人生不幸とはいえないでしょう。

                       今は、不幸な人が多い気がします。私もそうですが、この生が続くという感覚が持てない。それどころか、いつ終わるのだろうという方に興味がいく。いい加減なところでいなくならないと困るわけです。
                       近所のおばさんで、一人暮らしだったのですが、年をとって病気になり、葬式代を残して首をくくった人がいました。身につまされる話しです。誰しも血の薄い親戚の世話にはなりたくないでしょう。
                       私にしろ老齢でのパートナー探しを考えないではありませんが、結局どちらかが残るので、問題が解決するわけでもない気がします。

                       まあ、いよいよという時になったら、行者装束で菅笠でもかぶって出発することにします。アパートで孤独死なんて嫌だから、行き倒れが一番面白そうです。
                       それまでは、生きがいの方を毎年粛々と行います。今年のテーマであるスサノオ・テレビは、8月か9月までに作りたい。案外と、私は幸せなのかもしれません。
                      | 日記 | 13:50 | comments(0) | - | ↑PAGE TOP
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