スマホ版「火を盗む者」 2.エリザベス女王の来航 参

 シェルブールでは、宿が確保できなかった。どこも渋い顔で断られた。
 港の方に歩いていくと、大変な人混みだった。しかしながら既に私はそうした祝祭的雰囲気には慣れていた。実際、それまでバーデンバーデンでもナンシーでも、お祭り騒ぎのようなパレードがあって、私は訳も分からずに列に加わって歩いたものだった。春祭りの季節だったのだろうか。しかし、ここシェルブールでは海岸付近にロープが張られ、所々に物々しく警官が立っていた。足幅づつしか前に進まない。何の人混みだか分らなかったが、列に従って歩いていると、遠くの桟橋に豪華客船が停泊しているのが見えた。
 (あれは、もしかしてエリザベス女王か?)
 他には何もイベントらしきことはなかった。なるほど船の全影を見るなら、湾を望むその辺りがベスト・ポジションだった。おかしなことに、それ以外の船影はなかった。今思えば、警備上の理由だったかもしれない。
 桟橋まで歩くことにした。そこでは、行き交う人は皆、連れと嬉しげに話していた。例えば天皇の巡幸でも沿道が人で埋まるが、それを見てどうなるものでもないにしろ、話の種にはなるだろう。このままイギリスに渡ろうかと考えて、切符売り場に行ったが、買い方がわからなかった。別に、近くに行って黒塗りの鉄板を見たからといって船に変わりはなかったし、デッキからエリザベス女王が顔を出すサービスもなかった。
 (今になって事実関係をネットで調べてみると、この時期にエリザベス女王が「クィーン・メリー2」と命名した豪華客船が半年間の処女航海を行っていた。)

 もう一度宿を当たろうと思い街のほうへ歩いた。途中、きれいな海岸公園があって、ピクニックでも楽しむように人々が座っていた。私は気持ちよさそうな緑の芝生に腰を下ろし、一休みすることにした。ドーバー海峡と薄いブルーの空が遙かに見えた。 ─── この海をランボーも渡ったか。1871年頃だっけ ─── カリスマが去ったのに、王座に座っていなければならない者と邂逅しているような気分だった。ランボーのその後は芳しいものではなかった。
 ひょんなことに、歩道からワインボトルをぶら下げた男が寄ってきて私の前に座った。しきりに「友達」とか「うまいよ」と言って酒を勧めた。ひとが口をつけたボトルを飲むのは嫌だった。それに、三十代後半の男の顔は、梅毒かなにかのように崩れていた。男は、おれの酒が飲めねえのかといった表情をしたが、私は斜めを見ながら心の中で(自分の顔を考えろ)と返した。視線や雰囲気で伝わったのか、男は諦めた。
 そのうちに、男は胸ポケットから新聞の切り抜きを出して私に見せた。その男らしき写真、文字は読めない。一度は何かで名を成したことのある人物なのだろう。面構えからすれば、格闘技かなにか。かさぶたみたいなプライドで生きているのだろうか。片言の英語でなにか喋っていたが、聴き取れなかった。道行く人を見やると、そんなやつ相手にするなよと言わんばかりの表情をして通り過ぎていった。同様にあたりを見回した男が、暗い表情になって俯いたまま、黙ってしまった。
 "O.K. Take care of you" (オーケー。体に気をつけて)
 気まずくなったので、私は立ち上がりざまに彼の肩に手を置いて言った。多くは語れないので、全体重を言葉に乗せるつもりで。そして振り向きもせずその場を去った。
 誰も皆、胸の中を振り返ると、過去には無数の四角錐が敷き詰められている。それは今現在の位置から眺める角度によって、暗く沈んだり、あるいはさまざまな色に輝いて見えたりする。出来事は個体として後ろに広がっているけれども、曜変する人生の時は照射する光を固定しない。今は辛くても、時がたてば、色を変えることもあるのだ。
 結局宿がなかったので、私はそのままパリに帰った。
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【夢日記】ケンカ

殴り合いのケンカをする夢など初めて見たが、夢の中で私は強かった。
なんだこりゃとネットで象意を調べてみると、逆夢であり吉夢だという。
ストレスを感じており、それが解決するというのだ。
あな有難や。
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五月病、というのでもないが

もう還暦に手の届く年齢ではあるが、新入社員はツライ。新職場に入って半年。もう若い時から何度もやっているが、新人はいつだってつらいさ。
あまり社交的ではないので、人間関係を築くのもヘタだ。
ただ、何度もやっているので、己の人格と合わせて勘所がわかっているだけマシだ。要はガマンだ。それしかない。
人間、悪いところばかりではないので、時が経てば総合的に見てもらえるものだ。最初が肝心とはいうものの、それができない者もいるさね。そういう者はガマンしかない。

さて、「信長の野望」というPCゲームがある。最近は、こればかりやっている。つまり、逃げ場所だな。我慢の補償だ。



PCゲームの良さは、現実逃避できる点にある。熱中するので、頭の中がからっぼになる。
この「創造」というバージョンは、歴代最高の内容。悪い意味でのコーエー臭さがない。非常にニュートラルなゲームとなっている。
新作も出ているようだが、コーエーは当たり外れがあるので、手を出してはいない。
正直言って、最近はこればかりやっているので、ブログのコンテンツが進んでいないのだが、人間、逃避したい時だってあるさ。
五月病と言うには、歳を食いすぎているけれども。

警備職なので、職場の出来事は書く気がしないのだけれども、先日こんなことがあった。
少年が警備室にやってきて、マイナス・ドライバーを貸してくれと言う。
「自転車の錠が壊れたので、錠をぶっこわして帰りたい」
というのだ。
あいにく、ドライバー・セットの在り処など知らないので、自分のビクトリアノックスを貸してあげた。
「間に合うかどうか、わからないけど、この部分が使えるかな?」
そのビクトリアノックスは、今、小説でも書いている欧州旅行の時に、ワインオープナーとして買ったものだった。私はレザーマンとか、万能工具が好きだ。
外から、
「こういうのいいよな」
などという少年たちの話しが聞こえてきた。
役に立ったのかどうかは知らないが、礼儀正しい少年が「ありがとうございました」といって万能ナイフを返しにきた。
「間に合ったかな」
「はい」
果たしてどうだったかまでは知らないが、万能ナイフはすべての少年達の夢だ。良いツールとの出会いになってくれれば嬉しい。

警備職なんて、ストレスがたまるだけの職業だが、時々いいこともある。

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ほんとニッチだな

銀行が評判悪いってネットのコラムで見た。銀行などなんの役にも立っていないじゃないかというのだ。まあねえ、利用する側から見れば、ないのも困るけれど、なんか社会の役に立っているかといわれれば、ろくなことはやっていない。法律の目をくぐったサラ金、それに高齢者騙しの商品販売と、大変だよな。まともな人が銀行なんか入ったら、人格崩壊するんじゃないか?

一円の帳簿の狂いも許されない。銀行ではないが、私もかつてはそんな職場にいたことがあった。でも、それ、新人に言うだけで、実際には裏保留で差し引きしていた。だってバカじゃん。一円の狂いで残業つけてたら、コスト合わないよね。
人間はミスをするものだという真っ当な感覚を捨てて、オカタイってだけの目標を立てたバカもんが、かつていたのだろう。
勘定が合うまで帰れないと言われたときには、愕然としたものだった。自分で払うといっても許されない。おバカ企業文化の代表だね。

銀行も、これじゃ生き残れないってんで顧客サービスなどに目を向けているという。要は金持ち優遇だ。
昨日テレビを見ていたら、ド高い電気店の生き残り作戦ってのをやっていた。定価で売る代わりに、サービス大盛りという内容だ。電気関係のことのみならず、犬の散歩から草取りまでやって、老人世帯に喜ばれているという。
そういうモデルを銀行も画策しているのかもしれない。
でもさ、それだったら、だだの便利屋でいいんだよなあ。俺も便利屋やろうかな。ほんと、ニッチな世の中だな。

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生きていることの奇跡

こんなオレでも、生きているなんてぇことを不思議に感じるこの頃だ。
そろそろ終活を考えなければならないのにな。
アタマのおかしくなった同級生の女子?から手紙が来るんだよ。老後なんて感覚も今では当たらないが、そうした不安を抱える年代だよな。

まあ、私は60で死ぬとして、あと5、6年。そう思えば、ギターなんか手放してもいいと思える。
もし、バンド組もうぜ、などというオファーがあった場合に、楽器なしでは辛いのでギターなんかも手放せずに持っているのだが、老い先短いと断ずれば、処分かな。夢の片割れなど、捨てなきゃあならないものか。
なんか気分でいにしえのクリスタル・キングの大都会だ。おっさん頑張ってるね。



発芽玄米なんだよ。もうすでに玄米食に切り替えているオレだが、発芽玄米のほうがより良いと聞いて、玄米を水に浸しているんだが、なかなか芽が出ねえ。念が足りてないのかな。

うむ。

今年のテーマであるスサノオ・テレビは、途絶している。理由は、懸案のテスト・ビデオである国府宮の裸祭りのビデオにつけるバック・ミュージックでつまづいているからだ。けれども、いつか、なるようになると気楽に思う。気楽ってのが、大切だな。うん。

こんなオレでも、時々、なんか書く。

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春宵一刻値千金なり

春宵一刻値い千金という名句があります。ブログをやって長いですが、春には、よくこのタイトルで何か書きます。
こんな宵には、浴衣でも着て川辺の風に吹かれたくなります。
そんな気分で今日は、つれづれの日記でも書くことにします。雑談がお好きな方は暇つぶしにおつきあいください。

休みなので、焼酎を飲みながら、つまみは鶏手羽元でした。
手羽元も鶏ムネも100グラムで50円。手羽元は骨がある分若干高いですが、食い残しの骨は、鶏ムネのスープに投入。一人暮らしなんで、誰も文句は言いません。
鶏肉は味が薄いから、塩や赤味噌を塗って焼きます。手羽元は焼き鳥としてつまみに。鶏ムネは、いつも通りに赤味噌のスープにしました。
スープは椎茸でダシを取ったのですが、手羽元の骨も入り、良い加減です。それでも、ちょっと味が薄いと感じたので、アオサも入れました。ワカメやアオサといった乾燥海草類は、後入れのダシとして重宝しますね。

雑誌では、文春が面白いと思うようになりました。週刊文春は今読んでいるのですが、結構読み応えがあります。文春オンラインも、スマホで見ています。
記事で、R・Rセンター(レスト・アンド・リクリエーション・センター)というのが出てきて、初耳だったので驚きました。戦後、朝鮮戦争時に、米兵の慰安所として政府が開設したものというもの。こんな例を見ると、太平洋戦争時の慰安婦というのも、存外に政府関与が疑われますね。
私は、太平洋戦争時の慰安婦は、民間の今で言う忖度業務で、政府の関与はないだろうと思っていました。女性の方には申し訳ないけど、戦争なんて女抜きにはやってられないものなので、そういうことは歴史にあまたあります。
しかあれども、戦前は女衒という商売があったので、私は従軍慰安婦など民間の業と思っていましたが、そうも言い切れないのかもしれない。
朝鮮半島の被害者には生きているうちに補償すべきですが、韓国に蹴られたのは残念でした。今後の外交カードに温存したいのでしょうか。亡くなってしまったら、カード自体が消えるのに。
一応日本は、これまでも名乗り出た慰安婦には補償金を支払っては来たのですが、時にそれがフィリピン人だったことには驚いたものです。まだしも朝鮮半島は当時日本国だったので、日本から従軍慰安婦に応募した人たちと同列ですが、フィリピンは正式には日本とはいえない。

まあ、戦争なんて交通事故みたいなアクシデントなので、ある意味では加害者も負ければ被害を蒙ります。天皇だって、その意味では被害者でしょう。かつては大日本帝国臣民だった戦死者も。慰安婦も、もろもろに。
その意味では、日本から補償の機会を奪った韓国に疑問を感じます。残念です。

春宵にしては、暗めの話題に落ちてしまいました。
まあ、いいニュースもあります。このブログは、スマホ版では人気記事ランキングというものが付随するのですが、それに私の小説がエントリーされるようになりました。嬉しいですね。ブログ村では鼻にもかけられないのですが、さてアクセスの実体がどうなっているのかは、分かりません。

今後は、自分の小説にコメントを書いてみたいかなと思っています。ランボーも自作の韻文詩に自己言及していたし、でしたらこれもブログならではの試みになるかと思っています。
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スマホ版「火を盗む者」 2.エリザベス女王の来航 弐

 カーンで降りた。昔パソコン・ゲームでDデイを扱ったものをやったことがあって、地名を憶えていた。
 宿を確保し部屋で落ち着いた後、街に出ることにしたのだが、フロントがバーになっていたので軽くやることにした。そのホテルも家族経営なのか、三十前の化粧っ気のない娘が留守番だった。髪を後ろで束ねていた。
 外の明るい往来を眺めながらビールを飲むのは気分がよかった。カウンターの中にいた娘が、三歳くらいのベビーをあやしているのが視界に入る。遊び心が起きて、私はピルスナー・グラスを片手でつまみながら、赤ん坊の目の前あたりに、ミッキーマウスをレンダリングしてやった。
 (ミッキーだよー)
 ややあって、突然若い母親がそれに気づいたように見えた。赤ん坊になにか耳打ちして、私がミッキーマウスをアニメーションさせていたカウンターの上に顔を向けさせた。もしかしてあの女性には、私のイリュージョンが見えているのだろうか、私は訝しんだ。そんな事は初めてだったし、どちらかといえば、自分の中で楽しむ冗談としてやっていたのだった。ひとしきりのショーを見たのか、その女性は赤ん坊を私の方に正対させた。すると赤ん坊は、両手で目をごしごしこすったあと、可愛く口を開けて満面で笑った。花が咲いたように見えた。
 (そうか、まだ君には見えないんだね)
 そういう意味のジェスチャーと感じたが、あるいは違ったかもしれない。私はほっこりとした気分になって、支払いを済ませ外に出た。

 道すがら、路上に張り出たカフェのテーブルでゆったりしている人々を見るのは愉しい。
 ピンボールが置いてあるような古いゲーム・センターに入って一服すると、陰から私を観察していただろう若者から手巻きタバコのペーパーをねだられた。私は大抵DRUMを吸った。フランスで売られている中ではいいタバコだった。一度ペーパーをやると、何人もねだりにきた。小規模な外交だったのかもしれない。手巻きタバコに付属しているペーパーなど普通は余る。
 闇雲に歩いたが、割と沢山の寺院に出会った。中には、案内板にDデイで焼け残ったと記されたものもあった。カミュが否定したのはこの種の時間的な永久であって、永遠性ではないだろうと手前勝手に考えた。けれども、焼け残る奇跡には祈りが籠っている。そんな事まで私が否定することもないだろう。私の旅行は、ただいい加減に歩き回るだけだった。どこへ行っても、それはそうだ。それら寺院も、名所ではあったのだろうが、今は名前を覚えていない。

 日が暮れてホテルに帰ると、バーカウンターでは主人と馴染み客だろう男達がダイスに興じていた。私は一杯やりたかったのでしばらくその光景を眺めて佇んでいたが、邪魔をするのも悪かろうと思い部屋に帰った。本当は仲間に入りたかったが、ダイスのルールは知らなかった。そんな手垢の付いた、ビールの匂いがするような、人々の暮らしをその匂いと共に好もしく感じたものだった。
 翌朝ホテルを出る時に、六十がらみの主人が、寂しげな低い声で「ボン・ボヤージ」と言ってくれた。小さなホテルではたまに、本当に心のこもった挨拶をされた。

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スマホ版「火を盗む者」 2.エリザベス女王の来航 壱

 宿のテレビでは、エリザベス女王が北フランスに来航するというニュースが流れていた。「目的ははっきりしませんが、あるいは外交関係の親密化が考えられているのでしょうか」などとコメントされていた。フェリーで来るが、上陸はしない模様ということだった。私は髭に付いた赤ワインを手の甲で拭いながら、地図を眺めていた。ケルト文化に興味があったので、パリからブルターニュ半島に行こうと考えた。
 (やめときなさいよ。あんなとこ、なにもないわよ)
 声が聞こえた。
 (なにもない鄙びたところが好きなんだけどね) 私は思った。
 精神の屋根裏部屋に棲む者、すなわち「声」を、私はネズミと呼んでいた。霊訓のような立派なことを語るのではないが、たまに役に立つことを言ったりした。孤独な人間にもそれなりの慰めはあるものだが、そうした類いのイリージョンだったのかもしれない。ブルターニュはやめて、シェルブールに行くことにした。歌で聞いたことがあった。


 列車では、窓の縁にミッキーマウスをレンダリングして遊んだ。くるくる回ったり、とんぼ返りを打ったり、人差し指を突きあげたり。なんなら虚空にイーグルスやクィーンのライブ映像を浮かべて「見る」こともできた(勿論音楽付きで)。イマジネーション。少し練習すれば、造作もないことだし、それでヴィジョンを見る脳回路が太くなっていくだろう。他には、まとまった考え事をしたりした。例えばアルベール・カミュについて。
 「シジフュスの神話」でカミュは、「誰でも自分が神に等しい存在だと感じた決定的瞬間があるものだ」と書いた。初めて読んだときは ─── 誰でもなのか ─── と訝しんだものだった。雨乞いができるようになってから、もう一度読み返した。
 ところでシジフュスの神話は、前半のかなりの部分を費やして自殺について論考しているが、これはとりもなおさずカミュ自身が自殺すべきか否かの隘路に立ち、懊悩した事を示している。

 ─── ついに私は荒唐無稽のオペラになった

 と、鮮やかにランボーは己の発狂状態を表現したが、カミュはその「荒唐無稽 =absurde」をキーワードに論考を組んだ。ランボーが魔術修行を行ったことをカミュが知らないわけもないが、それは自殺したくなるような幻覚の散乱を伴う。それでも、ランボーのように意図的に精神の調律を狂わせ、火を盗み出そうとする者がいるのだ。非常に限定された意味でならノーブルといえなくもないが、まさにアブソード(ばかげたこと)だ。昨日までは地底にあると思っていた地獄が地上にせり上がってくるのだし、コントロール可能なものを地獄とは呼ばない。
 文学に力があるとすれば、こうしたマイノリティ向けの作品が、それとも知られずに遠くまで届くところにある。結局のところ経験しなければわからない事なのだし、必然的に少数者向けにならざるを得ないのだが、誤配さえなければ、それは既に投函されているレターだ。そしてパルナシアンを目指したランボーが「精神を通して我らは神に向かう」と書いたように、カミュもまた「神に比肩する者の如くに生きよ」と述べた。神は地獄にしか現れないらしい。

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仙境異聞が売れているという

文春オンラインの配信で、平田篤胤の「仙境異聞」が売れているよしの記事を読んだ。
なぜ今?という語り口だが、あれは面白いので、絶版で中古本が3万円というのもどうかと思った。細々とでも売れ続けて欲しいし、キンドル化もしてほしいものだ。

昨今、神社バーなるものが流行ったという社会現象も耳にしたが、そうした形だけの興味から、内実を求めるものへと進んだようにも思われる。
内容的には、世界的にも突出したヴィジョン・クエスト風を思わせるものだ。不思議に興味があるなら、一読して損はない。

「この壷の中に入れ」
道で出会った老人に言われ、寅吉少年は仙境を巡る。それで千里眼や予見といった異能力を身に付けてしまう。お伽噺のような内容に見えながら、これは平田篤胤という国学者が採録した実話なのである。
寅吉の仙境めぐりは、恐らく白昼夢に近いものと思われるが、別に江戸時代に天狗ネットワークがあったようにも思われる。
そのヴィジョン・クエストによって得た異能力は、本物だったろう。現代でも、千里眼の人はいるし、実際、遭遇したこともある。時に私の歯痛についてチャットで指摘され、驚いたものだ。

なぜだか私は昔からそうしたジャンルに興味があり、いろいろ研究してきた。そのせいかロクな者には成らなかったが・・・。
それについて書いた小説は、自らダメ出しするほど混乱したものだったので、加筆訂正している最中である。まあ、ライフワークだから、一生推敲し続けることになりそうな気はする。
いろいろな要素を引用した小説なので、仙境異聞も入れ込もうか迷ったが、なにせヨーロッパが舞台なのでしなかった。ブーム便乗でもしてみるべか?
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【一人暮らし】味噌汁

五十代から始めた一人暮らしですが、日々向上を目指しています。そんな中で、味噌汁は欠かせない主食です。
冷蔵庫くらい買おうとは思っていたのですが、わけのわからない反骨精神が頭をもたげ、冷蔵庫なしの一人暮らしを目論んでいます。



上は購入検討していた品です。薄給とはいえ高いものでもないのですが、ランニング・コストや振動が頭をよぎり、無しでいけないのかと・・・。
基本は、たとえ生肉であれ、買ってすぐ食べればよいわけです。実際そうしています。所帯があればそうもいきますまいが、一人暮らしなら可能ではないか。
けれども夜勤の連勤などあり、毎日買い物なども到底できません。そんな条件で味噌汁はどうするのか。

まずは腐りにくい野菜ですね。ジャガイモ、タマネギはそうそう腐りません。タマネギなどは、ラップして水分蒸発しないよう心がければ、常温で結構もちます。二食分作るにしても、ジャガイモは一個いけますが、タマネギは一個だと多いので、半玉使って後はラップします。
ネギは根元を水につけておけばよろしい。
無冷蔵庫生活の挑戦です。

あとは、乾物です。味噌汁にどんな乾物が使えるのか、折々考えました。まずは海草。ワカメやアオサなど、比較的安いし、味が複雑になります。
ならば単純な味ってのはどんなものかと申しますと、煮干で出汁はとるにせよ、タマネギだけだと味噌の切り立った味しかありません。私、赤味噌使いなもので。
そもそも味噌汁ってどうやって作るんだという貴兄。煮干を好きな時間水につけて、その後野菜やら具材を入れる。煮え立ったら火を止め味噌を入れる。赤味噌だったら煮込んでも大丈夫なので、多少の作りおきならかまいません。

たんぱく質はどうするのか。このごろ見つけたのが、「凍り豆腐」です。



これ、なかなかよかったです。メーカーは煮物用を意識しているようですが、味噌汁でも使えます。味を決めてから投入がよろしいようです。
味噌汁のタンパク質なら煮干が王道ですが、やはりバリエーションは欲しいですね。

買い物に行くと生肉を買って汁にするので、買い置きのタンパク源として、乾物の豆腐も重宝なものです。今日は高野豆腐を買いました。

ところで、ネットのニュースでは、白米が健康に悪いとハッキリ出ていました。
(悪いのか)
まあ、良くもないとは思っていましたのですが。
ところが、スーパーでもなかなか玄米ってやつに出くわさないんですね。
気をつけます。

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