【一人暮らし】鶏肉が危ないってか?

週刊文春の「国産鶏肉が危ない!」という記事に、
(別に安全だなんて思って食っちゃいねえ。比較の問題だろ)
などと思う私でした。
かつては養鶏業をやっていたこともあるので、畜産を含む農業全体がどんなに安全性を無視したものかは知っています。
だったら何を食えばいいのか? 私は引っ越してから、魚は食べなくなりました。前は、天然モノも手に入ったので食べましたが、ここでは養殖モノしかないのです。
(魚の養殖なんていったら、畜産でつくる肉より抗生物質が多いんじゃないの?)
まあ、一番安全性が高いたんぱく質といえば大豆なので、高野豆腐ばかり食べてりゃいいんですがね。今後は、そうしようかな? 正直な話、鶏ムネ肉なんて、そんなにうまいもんでもないし。

問題視されたのは、耐性菌というもの。記事には明瞭に書かれていなかったけれども、抗生物質の効かない大腸菌みたいなものでしょうか。
でも、同じ記事で、実は牛肉にも豚肉にもあまり変わらない割合でソレが含まれていると書かれていました。なぜ耐性菌という主題で記事が書かれなかったのか疑問に思いますが、「鶏肉」が最もインパクトがあるからでしょう。
細菌なので、加熱すれば大丈夫ということで、すぐに焼きを入れる私は大丈夫でしょう。スーパーで買ってきたままのパックに塩を振り、丸のまま魚焼き機で焼くからです。

旨いなと思うのは、豚肉の骨付きリブです。これをソース焼きにする。まあ、牛肉なんて手が届かないしね。これを月二回くらいの贅沢にしようかな。
たんぱく質は、納豆と高野豆腐で取る。高野豆腐って、筑前煮みたいなイメージしかないかもしれませんが、味噌汁やカレーやらの汁を吸わせるとうまいんです。

一人暮らしの弁当にお勧めなのが、ごま塩です。一時は昆布の山椒漬けを使っていましたが、ごま塩のほうが腐る心配もなく手軽です。オカズは日持ちのする魚肉ソーセージです。
まあ、10年くらいはコンビニ飯食いましたよ。どうしても飽きるので、弁当からパンからカップメンからオニギリとか、順繰り回りで。
今は自炊なので、ごはんをわっぱに詰めて持っていきますね。

そういえば、酢納豆の味ですが、そんな悪くはないです。
私も当初の想像では「ゲッ」と思ったわけですが、欠点は最初セキ込むくらいですかね。

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酢納豆

神経性疼痛は治癒しつつあるのですが、今度は肩痛やら目の痛みにみまわれています。
(この神経痛シンドロームは治らないのか?)
思えば肩こりから始まっています。あまりにヒドイので、バイブレーターを買いました。で、気持ちいいのなんのって、ついでに完治してしまいました。
それが、しばらくして腰痛に転化し、それが終わって下半身に流れ、疼痛になった経緯があります。
痛みというものがストレスの表現なのだとしたら、原因が続く以上は無くならないものかもしれません。

けれども、痛みのヤツも、私のカラダの弱い部分を攻めているに違いないんですね。
(じゃあ、神経痛って、どうやって治すんだよ?)
わかるわけもない。最近ですよ、テレビで酢納豆のことをみたのは。

その理屈を言うと、血管が血栓によって膨張して神経に触るから、血栓を溶かすナットウキナーゼが効くということなんです。更に「納豆に酢を加えると効果的です!」って話なのです。
子供の頃はよく「理屈を言うんじゃねえ」ってたしなめられたものですが、理屈ってのは大事でね。これがプラセボ効果をもたらすわけです。

血栓というと、脳梗塞やら致命的なものを思い浮かべがちですが、さにあらず。たとえば目の周りの毛細血管にだってできるわけで、酢納豆で目がよくなったという老人もいるとかで。
私のように神経痛が全身を経巡っている者には、マスト・ハブな食品というわけでした。

いや、私は自己暗示が効くタイプなんでね、数日で効果が出て、肩痛で出来なかった筋トレを再開しました。
なにより、タバコをやめるべきなんですけどね。と書きながら一本くわえる。最近悩んでいます。
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お盆夜話

こんなブログを書いている手前、それっぽい話のいくらかはストックがあります。
今日は興が乗ったので書いてみましょう。

怖いハナシっていえば、今そこにある戦争の危機ってのも、そのひとつですね。
もう、トランプちゃんなんかは、いつ戦争おっぱじめるかわからない。彼はビジネスマンですから、要請があって妥当な儲けがあれば、躊躇しないでしょうね。戦争枢軸国になっていく恐れは大です。
日本も憲法変えちゃったりしてね。安部やんと石破どんの論議も、対立構造でありながら、その実は憲法改正議論を煮詰めているに過ぎません。
政治家なんてパペット(繰り人形)に過ぎないとは、よく言われることですが、それは陰の大きな力が上演している人形劇なんだよってことなんでしょう。



この時期、テレビでは戦争特集なのですが、じいさんによっては、もう語るのも無意味なんじゃねえか?と言っています。戦争の記憶を風化させるなどころか、また新しく始めやがるんじゃねえかって疑いでしょう。左翼の名残りもあるマスコミとしては、意図に反して困るんでしょうねえ。笑っちゃいました。だって同時に、一方でイージス・アショアなんて無意味だって控えめに物申してるんですから。
(近頃プーチンくんが、ミサイル防衛システムを無効化する更なるミサイル・システム構想を発表しています。要は、ひとつのミサイルに何個も核爆弾を搭載するので、イージス・システムでは打ち落とせないというもの)
別にトランプちゃんのご機嫌取りたいんだから買っておけば?ってハナシなんですが、マスコミの方も流石にこの無駄は看過したくないらしい。戦争さえ起きなきゃ、どうでもいい話のはずですが。(血税だから、どうでもよくないってか? でも、そういう死に金なら他にもっと多いはずさ)



ところで、早くに死んだ私のオヤジは、よくグラマンの話をしていました。
ある日、ホラ話かと鼻についたので、
「戦争にも行っていないくせに」
と揶揄すると、
「いや、学徒動員でやられた。学校の校庭で、グラマンに追われて撃たれた」
と返すのです。
「ウソだい」
と言うと、証拠の傷を見せてくれました。
私はのんびりしていて話しやすいのか、私だけが知っている家族の秘密が結構ありました。父が亡くなってから、ふとした時に母にこの話をすると、
「ウソだろ」
ということで、母さえ知らない秘密だったことが知れました。
「嘘じゃない。太ももにある弾痕を見せてもらった」
と言っても半信半疑のような顔をしていましたね。
なかなか、胸に詰まった本当の話って、容易には口に登らない性質があります。そんな機微があることに、私は40過ぎてから気づきました。
オヤジも、誰かに話したかったから胸につかえたグラマンの話をよくしたのでしょうが、やっとその時言ってくれたわけです。後にも先にもその一回きりでした。それだけ心の栓みたいな出来事だったのでしょう。お盆の供養話の一節です。
今じゃグラマンどころか、日米戦争さえ知らない若人もいると聞きます。
学がなくても恥ではないけど、教養(インテリジェンス)がないのは場合によっては恥になるかもしれませんね。もし彼氏が米国人だったら?



まあ、そんな上から目線の威張った話は置くとして、リアルに怖かった話を最後にしましょうかね。
入眠時幻覚というやつですから、これは誰にでも起こり得ます。
ふっと目が覚める二階の寝室。下から階段を登ってくる足音が聞こえる。母とは同居だが、こんな未明にあがってくるはずもない。
(なんだろう。誰だろう)
などと思っているわけです。その頃には結構な霊体験もしていましたから、
(アレか?)
と思いました。でも、
(部屋の扉は閉めていたはずだから、入っては来れまい)
などと、防護壁は立てたのです。
そいつは、あっさりと扉を素通りして、私のベッドの横に立ちました。
はい、おしまい。
それがどんなに怖かったかは、あなたの想像力によるでしょう。
私だってね、初めてひとがたを見た時は震え上がるほど怖かったものですが、慣れてしまうんです。けれども、アプローチの仕方が変わると、それはまた震え上がるものでして。

うむ。なんか呪われてんのかな? オレ。
お祓いでもしたほうがいいぜって言われることはありますが、いよいよ最後には、
「仲間じゃないか」(なんの?)
とか言って逃げるつもりです。フフッ。

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【一人暮らし】青雲篇

一人暮らしをして8ヶ月たつ。
おかしなものだ。50過ぎてからこんなことになろうとは。
であるにしても、何か大きな失敗をしたというのではなく、なるべくして運ばれた運命と思える。

デミ・ムーア主演の軍隊ものの映画で、「巣から落ちる雛は、おのれを憐れまない」というキラー・フレーズがあった。巣から落ちるヒナ鳥とは、巣立ちで飛ぶ練習をしている者のことだろう。乗るか反るか、それで失敗したとしても、悔いなどはないという意味か。鳥なんて、最初っから、飛べなければ死ぬしかないものだからだ。

一人暮らしになった理由の一端を示せば、親の面倒を見切れないという事がある。
同級生で、私と同じような兄弟構成の幼馴染がいたのだが、親の入院治療費に事欠いて自殺した。その時に私は、
(自殺するくらいなら、逃げればよかったのに)
と思った。
だから、そうしたまでだ。もし、ツレの悲惨を経験していなかったら、私も同じ轍を踏んでいたことだろう。

先日、姉のひとりにその話をした。
「重い話ね」
と感想を言われたが、私はわかって言っていることなので、なにも答えなかった。

別の姉は、一人暮らしも危ぶまれる親を置いて出て行く私に対し、
「なのにあなたは出て行くの?」
と言ったものだった。親は長男が面倒をみるものだと思っているらしい。私とて余禄があればそうしたが、なにせ不肖の者。先々のデッド・エンドは見えている。

「出て行くよ」
と私が宣言したのは、親の面倒は子供全員でみること、という日本国法の精神を言外に通知したかったに過ぎなかったのだが。それを言わなければ、私はいつまでも保護責任者であり続け、犯罪者にだってなりかねないわけで。


まあね、こんなことを書きたかったわけではないのだが、筆が走ってしまった。
本当は、このコーナーは一人暮らしの知恵を分け合おうというものだ。

冷蔵庫無し生活については、これまでも色々書いてきた。
便利なものとしては、高野豆腐、ワカメなどの乾燥品がある。
野菜は、基本的にタマネギを重用し、それをベースに味噌汁を作る。乾燥品は、いわばトッピング的に使う。
最近は、テレビで酢納豆が良いと知り、導入している。酢も納豆も要冷蔵の品とされるが、ネットで調べると、意外に保つらしいことがわかったからだ。納豆なんか、乾いても食えるという。

アパートの電気代は千五百円だ。冷蔵庫無し、洗濯機なし、あるのはPCとエアコンだけ。洗濯は、もちろんフロで手洗いである。
節約というより、また移住することも考えられるので、荷物を増やしたくないという心性による。

まあ、なんとか、無駄遣いもするものの、また移住する際の住居費は確保できつつある。税金も払っている。なにか不測の事態が起きればアウトだが、その時でも、おのれを憐れむことはないだろう。

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疲れるぜ



これはポール・サイモンの「アメリカの歌」のカバーです。無伴奏のアカペラ。歌は走りがちですが、説得力があってうまいです。
どうも、最近この歌が気になって仕方がないのです。

アメリカの属国である日本も、役人やらが我勝ちのことしかやらないんで、相当低い国になりました。お上に習えってんで、そういう風潮が社会に蔓延しています。これまでは皮肉な顔で笑って見ていたのですが、最近は疲れを感じます。

ドナルド・トランプも、慣れてしまえば面白いおっちゃんやないケと感じます。役者ですね。考えてみれば、世界のリーダーであることをやめてしまったアメリカに、生まれるべくして誕生した大統領とも思えます。次は何をやらかすのだろう。

「慰めが欲しいんだよ」
と「アメリカの歌」では歌われます。これが最近妙に心に残る。
私はカラ元気で、「日本の歌」を歌っているつもりです。自分自身にとって必要なこと、これなしでは生きていかれないことと感じるのです。大げさなようですが。

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スクナもクナか

書き忘れたことがあったので、付加。
古事記に出てくるスクナビコナですが、これにもクナって名が含まれています。スは接頭辞とも考えられます。漢字では少将名彦名でしたっけ。

オオクニヌシは、別名が沢山あるのですが、オオナモチというのが一番適切でしょう。大名持ちですね。他の別名は、お概ねその転化です。
戦国時代に大名という名称が使われましたが、それに等しいものと私は考えています。よって、スクナヒコも小名と類推されるところですが、ふと、それが違うのかと思ったのでした。

古事記では、オオナモチが大名で、スクナヒコが小名の副官であると読み解かれています。これは、尊敬する梅原猛説で、まことにごもっとも、私もこれまでそう考えてきたのでした。要するに、オオナモチは大名、スクナヒコはそれを補佐する小名というような、地位名称であるという説です。(固有名詞ではない)
ところが、オオナモチがスクナヒコに対して、「わが治世はこれでよいか」と問う場面が古事記には出てくるのですね。スクナヒコが軍師のような立場にあったとしても、少々の違和感があります。

富氏の伝承でも、オオクニヌシなんて大した存在ではなかったとあるように、これは地方長官のような存在と考えてゆるがないでしょう。それを補佐するはずのスクナヒコが、対等以上のような物言いをしているのが、いささか気になっていました。
当然ですが、古事記は勝者の歴史であり、相当割り引いて考察する必要があるのですが、スクナヒコがオオクニヌシより上の存在だった可能性を思うのです。「クナ」がゆえに。ちなみにクナとは男根の意味で、これは東南アジア一帯に広がる信仰です。
更に、古事記ではオオクニヌシがコトシロヌシに対して、国譲りしてもよいかと許可を求める場面も出てきます。常識的に考えれば、息子に許可を得るというのもおかしな話で、ここは真の支配者を隠そうとする為政者の配慮だろうと疑っていました。
クナ国の支配者がコトシロヌシだったとすれば、ゆがめられたハナシも相当すっきりします。

これで、縄文晩期の西日本の謎は、解けます。
今の興味は、東日本はどうだったのかというハナシです。東日本が、流布された歴史のようにヤマタイに征服されるだけの辺鄙なところだったとしたら、それだけのことですが、私にはそうは思えない。なぜなら出土土器類に、人も知るような高い文化性が認められるからです。
スサノオ・テレビ | comments(0) | -

スサノオ・テレビも忘れちゃいません

スサノオ・テレビは今年のテーマなので、頓挫しているとはいえ忘れたわけではないのです。これは日本史の深層に踏み込むプロジェクトで、一面のライフ・ワークでもあります。

人生とは面白いもので、若い頃に抱いた疑問に、歳を取ることによってだんだんと答えが出てくることがあります。

狗奴国って、クナトの大神を奉じた富氏一族のことではないのか、とか。
かなりマニアックな話しですが、国譲りの時代に、九州勢力対近畿・中国勢の争いがあったという伝承があるのです。
魏志倭人伝では、ヤマタイ国対クナ国の戦いとなるでしょう。
興味ありますか? こういう非常識的なハナシ。なければ読み飛ばしてください。マニアックと自負するので、私も心苦しい。
とはいえ、私も本で読んだだけではなく、足で歩いて富氏という存在を確認したので、うっちゃるわけにもいかないのです。富神社というものが、伝承どおり実際に散在しているのです。

神武東征って、九州勢力対近畿・中国勢力の戦いでしかないのに、学会の人たちの議論って、これまでヤマタイ国がどこにあったかというバカらしいものでしかありませんでしたね。九州に決まっとろうが。しぇからしかよ。
こと古代史に関しては、学会ほど頼りにならないものもないので、誰も相手にしないし、妄想が蔓延る原因ともなっていますな。
あはは、私なんざのスサノオ論もそのひとつでございます。

そういえば、日ユ同祖論なんてのもあったなと思い出したのでした。
これがね、伊勢神宮参道の灯篭にユダヤのマークが彫り込まれている(事実)など、傍証も沢山あるのです。
また、職場の古いおっちゃんが、そんなトンデモに類する本を読んでいて、私に勧めるわけなんですよ。そんなこと知ってるし、私にはどうでもいいことなんですが、そのおっちゃんにとっては、日本を知る手立てなのだろうと思っていたのでした。
四国巡礼なども、40過ぎてから企てる人も多く、なんとなく自文化への興味が出てくるお年頃ですね。定年過ぎても、深まりこそすれ、なくならない習性ではあるでしょう。老い先短くなれば、自然とそうなるようです。そうしたことは、大切に思います。

でね、私としては、日本とユダヤというより、メソポタミアとの関係を重視するわけです。
これまでもスサノオ・テレビのコラムで述べてきましたが、要は民族移動に関することなので、産鉄文明から追うべきなのであります。その方が広いでしょう。
確かに、スサノオ民俗である蘇民将来は、ユダヤの過ぎ越しの祭りに近い説話ですが、だからといって日ユというのではなく、メソポタミア地方の伝承が来たというほうが広いでしょう。
別にそれでトンデモといわれるなら構わないけれども、だったらこの類似性はどう説明できるのかと反問したい!
ゴオオー。
と叫びが出たところで、本日は終了します。
ふざけているつもりは、全くありません。





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さて、マンガ表現とは?

仙境異聞をマンガ化しようと思い立った。
で、マンガ表現とは何かと思ってみている。

四コマ・マンガって、時間の経過など、実は映画フィルムのコマに似ているなと思う次第なのであります。
それで、仙境異聞をマンガ化するにあたって、本当にそうした表現でよいのだろうかと思っていたのです。選択肢は、絵物語のスタイルもあるからです。
確かに、時間の経過がコマ送りになるスタイルのほうが、馴染み深く読みやすいかと思われますが、反面で絵を簡略化することになり、この題材の場合では、コマ数が多いことより、絵物語の方が適しているかと考えたのです。

絵物語というのは、たとえれば紙芝居みたいなものです。ブログで書くのなら、なにも四コマまんが形式である必要はない。別に、絵物語なら、セリフを書いたり、状況説明したりという映画のシナリオのようなことがやれます。

さて、主題の仙境異聞ですが、これは幕末のお話で、相当程度はそうした時代の雰囲気を反映しているものです。
「国防に備えて、武器の知識を開陳するも可」
といったセリフが寅吉発言に見られます。
そして、上田秋成の雨月物語も、この頃成立しています。そんな魅力的な時代なのに、ムリに舞台を現代に持ってくる必要はあるのかと考えたりします。
内容的には、市井の人たちを助けるという普遍的なものになるのですが、その舞台が幕末というのも面白いかなっと。
あるいは、ドラえもんのどこでもドアみたいに、時代を縦横するのも面白いかもしれません。

こうした妄想を巡らせている時が、一番楽しいですね。始めてしまうと、苦行でしかなくなります。

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火星の権能

職業柄、夜に巡回するのですが、ここのところ火星がやけに明るいと感じていました。
「はて、面妖な」
ところで、こんなこともあるかと考えていました。
「夜空に赤い星が光るのは凶兆、戦乱にござりまするぞ」
と三国志で諸葛亮孔明が言ったかなと不確かな記憶を辿って見ていたものです。
数日前、15年ぶりの火星接近というニュースに触れて、やっと合点がいきましたが。

(15年前って、オレは何してたんだろう)
などと思っていたのですが、順々に記憶が蘇ってきて、
(そうだ、四国巡礼していたではないか)と思い出されました。
(道理で、四国巡礼の時に出会ったNさんが最近しきりと思い出されたわけだ)
などと。
記憶って、本筋直結ではなくて、周りを迂回して思い出されるものですね。さてもさても。

四国巡礼の旅日記に、「火星の権能」を我が物としてなんて大仰なことを書いていたなと思い出しました。巡礼ハイってやつで、どうしても万能感は出てくるので、そこは勘弁してください。
要は、15年前の火星接近を思い出したというわけです。
そう、あの夏も暑くて、8月を避けて9月出発としたのに、残暑が厳しかった。買った行衣が小さくて、前腕をカバーしないので、日本手ぬぐいをいつも巻いていたほどでした。
下は海パンみたいな半ズボンでしたから、
「近頃、おかしなやつが増えて困る。遍路をなんと心得ているのか」
と聞こえよがしに言われたこともあります。そんなことも気にしないのが私の強さなんですがね。強情なところがあって、他人への斟酌などしないのです。大体私は遍路修行なんてつもりはなくて、巡礼だったのです。なにか宗教に帰依したことはありません。巡礼は宗教じゃなくて信仰でしょう。メイビィ。
折りしも、欧州でもブラック・マリアのピルグリムが流行っていた頃でした。エリック・クラプトンがアルバム「ピルグリム」を出した影響はあったかも。

調べてみると、2003年は欧州でも熱波があり、多くの死者を出したとされます。日本もどえらく暑かったのですがね。
ですから多分、占い師で今年は熱波だと予言した人はいるはずです。なぜ話題になってこないのかはわかりませんが、ネットで探せばきっといますよ。だからどうということもないのですが。

思えば2003年は冬に台風が来ていました。このことが、私の天候操作のキッカケになりましたので、明確に覚えています。
「台風でも来ないかな。流石に冬は来ないんだろうが」
などと思っていて実際に来て、驚いた疑問が英語張りのASK(頼み)に変化していったのでした。

何書いてんだろうな、オレは。酔いが回ったかな。
先から話題にしているバーボンですが、昨日アマゾンで注文したやつが来ました。
「エライジャ・クレイグ」と「ベイジル・ヘイデン」です。
エライジャ・クレイグは3000円のわりには栓もよく、なかなかの品でした。お買い得の一品といえましょう。ただし、酒精は荒いです。
ベイジル・ヘイデンは酒精も上品な逸品です。かつてのスコッチの名品「グレンモランギ」を彷彿させる味わいでした。ちなみにGLENMORAGIEって、日本ではグレンモーレンジーとして売られていますが、海外ではその発音ではありません。旅行先では困るよ?



さあ、今日はこれでおしまい。あとはユーチューブで、「ピルグリム」から一曲引用して終わることにしましょう。


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適当言ってんじゃねえ

仙境異聞の話です。
これ、昔一度読んだのですが、その時もうさんくさいものを感じました。
今回再読しても、結果は同じでした。
結論を言ってしまえば、寅吉クンは見てきたようなウソを言うタイプでしょう。

例えば、女の国というものがあると。
そこへ行った事があるというわけです。まともな話としては、現代人の誰も信じないでしょう。ところが、江戸時代のひとは、なんとなく信じた。西鶴に女護島というのが出てきますが、そうした伝説が下敷きにあります。
だからといって、そこへ行ったと言ってしまうなら、鼻白むものがあります。

ここで、寅吉少年の出自を考えて見ましょう。
寅吉が行者の小姓をしていたことは間違いないでしょう。薬学や医療の知識は、今も民間に伝わるものが確認され、嘘はないと見做せます。
そうした使いっ走りが、師匠と旅に出て宿坊に泊まる。そこでは四方山話しに花が咲いたことでしょう。大人の話を隅っこでじっと聞いていた寅吉が、14、5の少年とは思えないほど博学の知識を蓄えていた事もむべなるかな。

ところで、ネットの話題では、仙境異聞を精神医学者が研究しているなんてことも小耳に挟みまして、実際私も統合失調症の症例と見ていますから、妥当で面白い研究だと思うのです。
寅吉クンは、師匠と連れ立って色々な外国見聞を広め、北極圏やインドやをへ巡ったというのですが、同じ頃、間宮林蔵がやっと樺太あたりまで行ったことを思えば、北極圏は言いすぎでしょう。寅吉は白夜のことを述べていますが、樺太では流石にそれはないだろうと思います。勿論、知識としては嘘でないのですけれども、そこへ行ったとなれば眉唾。その他の諸国話しを勘案しても、大法螺吹きとも思えます。
そのように、寅吉の性格自体に信用せざるところがあるのなら、根本から一蹴していい物語となります。
が、そうした行者見習いには有りがちな事ですが、もし寅吉が統合失調症であったなら、話は「待たれよ」となります。現代風に噛み砕けば、LSDやりながら旅行しているのと同じですから、異様な国も彼なりには見たでしょう。宿の四方山話しさえ、自分が行ったと錯覚することがあったかもしれません。なにより、寅吉自身が、そうした事は「夢とも思える」と述懐しているわけです。

あるいは寅吉クンは国学者たちの寵児でしたから、己を大きく見せたいという心理が働いて、適当言ったのかもしれません。今回読んだ限りでは、そうした節を感じました。
寅吉クンの肩は持ち切れないけれども、だからって捨て去っしまうのももったいない素材なのですね。
この奇談、この夏読んでみるのも面白いでしょう。私が持っているのは中央公論社の「日本の名著」シリーズなので、大きな図書館ならあるかもしれません。書名は「平田篤胤」です。もっとも古文調なので、決して読みやすくはありません。

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